一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

先師がた



 遡って水源を確かめたいと、しきりに思う齢ごろがあった。若き日の情熱というもんだろう。今の若者たちにも、さようであって欲しいと願うばかりだ。

 こんなものまでとも思える書を、古書店で漁ったこともある。ご定年を迎えられてご蔵書整理に腐心される恩師から、授かった書もある。
 島村抱月『近代文芸之研究』(早稲田大学出版部、1893)、明治二十六年刊行の本である。(本日は書名・著者名すべて新字にて代用する。)
 『抱月全集 第一巻』「新美辞学・美学研究」(博文館、1928)こちらは昭和だ。

 『片上伸全集』全三巻(砂子屋書房、1938 - 39)。わがゼミ生の卒業論文に「片天弦」といく度か出てきて、口頭試問の面接の場で、困惑したことがあった。早稲田の学生であれば、本学先師の雅号もわきまえぬのかと一喝して済むところだが、あいにく別の大学だった。しかも研究題目は芥川龍之介研究で、どうしても片上伸(天弦)を引合いに出す筋合いではないのである。半可通は大火傷のもと、という例なのだが。
 問題は、面接教員二名で審査することだ。わがゼミ生だから私が主査で、第三者的視点で読んでくださった教員が副査として、隣に控えておられる。わがゼミ生がこの程度かと思われるのは恥かしい。かといって直接面詰したのでは、学生に恥をかかせるようで気が引ける。ひょっとして副査の講師が気づかずに読み逃してくださっているかも知れぬと、失敬な邪心も湧いてきた。
 結局その場では言及せずに、後刻ゼミ生を呼出して指摘した。副査講師からは、頼りない教員と思われてしまったかもしれない。

 紅野敏郎相馬文子編『相馬御風初期評論集』(名著刊行会、1982)。抱月・天弦と同じく、初期の早稲田文科にあって自然主義文学理論を鼓吹した一人だ。しかし世間では、校歌「都の西北」作詞者としてのほうが、何十倍も有名だ。
 本間久雄『明治文学史』上下二巻(東京堂、1935 - 37)。このあたりになると、直接謦咳に接した教授がたからお噂を伺う機会もあって、「本間先生ってかたはネ」というようなお噺をいく度も耳にした。新しい本だが平田耀子編『本間久雄日記』(松柏社、2005)を添えておく。
 早稲田とは関係なさそうだが、伊藤信吉『近代文学の精神』(有光社、1943)が近くに並んでいたので、これも添える。

 わが学統の先師がた、抱月、天弦、御風、本間久雄を、古書肆に出す。

 ベッタリ自然主義というのではない、文学についての別の考えかたが気になった齢ごろがあった。
 今でも岡崎義恵の『日本文芸学』(岩波書店、1935)を尊重する学者はおられるのだろうか。美学的文学論の提唱は、その後いく重にも乗越えられて、新理論に刷新されてあるのだろう。しかしこれから学徒として歩み出そうと志す大学院生たちには、否定するにせよ栄養とするにせよ、一度は眼を通しておくべき見解ではないだろうか。
  想い出深き一書である。が、今となっては、役立てられない。娯楽・懐古趣味として読む機会もなかろう。古書肆に出す。

 『美の伝統』(弘文堂書店、1940)、『芸術論の探求』(弘文堂書店、1941)、『芸術と思想』(角川書店、1948)、後年まとまった『岡崎義恵著作集』(宝文間)から、第四巻「万葉風の探求」(1960)と第九巻「近代日本の小説」(1959)などが並んでいたので、付けて出す。
 有名な『漱石と則天去私」を含む漱石論・鴎外論があったはずだが、持出したままどこかに置きっぱなしたと見え、行方不明だ。