一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

出陣式



 藝祭(大学祭)二日前。ということは古本屋研究会による学生古書店「堂々堂」の本年開店二日前である。

 映画学科では自主製作映画の上映会がいくつもある。演劇学科では笑劇やダンスパフォーマンスの公演がいくつもある。写真学科では回りきれぬほどの写真展会場が並ぶ。放送学科ではサテライトボックス内での公開生放送が次から次へと続く。音楽・美術については申すに及ばすだ。比べると、文芸学科は地味だ。自分たちの作品を発表した雑誌や作品集を販売するだの、せいぜい動的なところでは詩や短歌の即興競技会を催すていどだ。
 そんな文芸学科棟にあってわが堂々堂は、比較的学外からお越しのお客さまの眼を惹く出店だ。古書店(展)で集客した足を、順路にそって他ブースへ向わせる点で、重宝がられているサークルである。

 しかし当日の店構えこそ賑にぎしくても、下準備にはことのほか地道な作業を必要とする。今日は、市場から仕入れた古書や昨年売れ残った在庫品を、点検分類し、化粧直しして、新たな商品とする作業日だ。重い荷を開き、はたき・手ぼうき・刷毛・雑巾・消しゴムなどによる個別手作業の山である。
 私は口出ししない。自分で躰が動かぬ以上は、口出しなんぞできようはずもない。時おり参考意見として、昔はかようだったと口を挟むのがせいぜいのところだ。


 その間に私は、自身のための作業をする。藝祭期間中、私の居場所を明示しておくためのちょいとした玩具作りである。
 藝祭には、学生時分を懐かしく思い出そうと、卒業生連中も遊びにやってくる。ところが、団塊世代のジジイ教員はここ数年ですべて定年退職し果てた。若手教員の顔ぶれも増えた。文芸学科の助手諸君にも退職や補充があった。つまりこの数年間で、世代交代が著しく進んだのである。まことに慶ばしいことだ。
 ところが卒業生連中にしてみれば、学科講師室を覗いても助手室を訪ねてみても、視知った顔に出逢う可能性がめっきり減ってしまった。しかたなく催物会場たる学生ラウンジを巡ってみると、一人だけ気安いジジイがいた、という次第となる。

 学生による古書店だから、私は帳場や店番を手伝ったりはしないが、かつて顧問教員だった名残で、堂々堂の開店期間中には頻繁に顔を出し、出たり入ったりする。また江古田文学賞の選考委員を拝命し、そのうえ夏休みの公開講座で喋らせていただいてる身ゆえ、まだ文芸学科とは細ぼそながらのご縁が続いている。つまり定年後も比較的大学に姿を現す公算が高いジジイの一人なのである。
 できの悪い子ほど可愛いと云われるが、逆もまた然りで、有能でない教員ほど卒業生にとっては懐かしいと見える。藝祭に堂々堂が開店しているからには、あのジジイがいるかもしれぬと、名指しで訪ねてくれる卒業生が毎年ある。
 しかし三日間の開店時間をとおして、のべつ店の周辺をうろうろしているわけにもゆかない。そこで学内にいるあいだは、時おり店に舞い戻りながらも、ただ今現在はどこに居る可能性が高いと、はっきりさせておかねばならぬ破目となる。

 年末に浅草今半で買物すると、翌年の卓上カレンダーをいただける。アート紙にカラー印刷された、油揚げサイズの月ごとのカード十二枚を、透明樹脂の簡易スタンドに挟んで立てる紙芝居仕掛けなのだが、本体のカレンダー部分ではなく、透明スタンド部分が、このさいまことに重宝だ。私の出先を手書きした白短冊を挟んで、帳場の隅にでも置いてもらおうとの目論見である。
 藝祭期間中に私が歩き回りそうな場所を想像して、短冊を書き了えた。想定外の行動に備えて白無地短冊をなん枚か用意しておけば、当日その場で書き込むこともできよう。

 私の準備は成った。学生会員諸君の作業も目鼻がついたようだ。車と台車による会場への商品および資材の搬入は明日である。
 かつてであれば前祝いとでも称して、居酒屋へ繰出すところだが、近年は体力に自信がない。余力は最終日閉店後の打上げまで温存しておくことにして、とりあえずは缶珈琲にて、あまりに控えめな出陣式である。