一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

暑中吉祥寺

 出足は傘不可欠の雨模様。降りやんだ直後は街に水蒸気が充満したかのような蒸暑さ。夕刻が近づくにしたがってかすかな風も感じられるようになり、いくらか楽になったものの、街散歩に真向きとは申しがたい一日だった。当日記を遡れば、前回吉祥寺駅周辺を散歩したのは昨年十月のことだったらしい。
 散歩といっても、お洒落なカフェで休憩しながらの悠々そぞろ歩きではない。古書店巡りの散策、もっと云えば巡礼である。

 古本屋研究会の学生会員による催しの尻尾に、年寄りや OB が連れ歩かせてもらっている。若者らはなにかしら興味感じるものを発見し、小遣いをはたく。 OB 連中は仕事が忙しくて読書時間がとれぬだの、住宅事情が許さぬだのと云って、今日は買物せずに見聞だけだと口にしながら参集するのだが、宿痾のごとき性で、結局リュックかショルダーの出番が発生してしまう。
 ある OB は、数日前の殺人的猛暑日に郷里のお父上が熱中症でご入院なされ、お世話なさっている妹さんを手伝うために、今夜最終の新幹線で仙台に赴かれるという。それまでの半日はオフだといって、駆けつけてくださった。
 別の OB はシナリオライターで、たまたま今週は〆切に余裕があり、取材出張の予定も入っていなかったとかで、駆けつけてくださった。仕事上参照の必要が生じそうな、類語辞典や慣用句辞典など、大部なものを仕入れておられた。
 さらに散策も一段落して、喫茶店にてミーティング休憩という頃になってから、幹事への来電とラインへの一報あり。散策後に反省会の一献があるなら今から馳せ参じるとのことで、二名の OB が滑りこみ参加となった。


 吉祥寺は東京でも指折りの、興味尽きぬ古書店さんが近隣に散在する街のひとつだ。分野も営業形態も多彩で、老舗も健在だし新興勢力も台頭している。
 私がまだ盛んに歩き回っていたころ、かような新傾向のお洒落店が出現したかと感服した店が、今では街を代表する名物古書店さんの一軒となっていたりもする。時は、確実に経過した。

 学生会員諸君にとって私なんぞは、あまり噺の通じる相手ではなくなっている。相談事は OB 連中にしたほうが、よほど手っとり早い。好ましい傾向だ。間もなく私は居なくなる。その後も、なんらかのかたちで人間的連絡網が継続されてゆくかと想像すれば、愉しい。
 技術の習得もさしたる見聞の成熟も望めぬ、ただ学生時代を心愉しく歩いたというだけのサークル活動だ。ほんの数少ない数えるほどの想い出だけを手にして、卒業後は疎遠になりやがて音信不通になってしまったところで、なんらかまわぬサークルである。事実さような卒業生がほとんどだ。ところがほんの一部の卒業生が、卒業後も OB として後輩の役に立ってくださろうとし、懐かしがって、おりに触れご参集くださる。なんともありがたい。
 

 私自身もかつて数かずの名著に遭遇した老舗店が、ご店主代替りされながら今も若者たちを迎えてくださるのは、嬉しい。
 盛り場をなかば抜けて、ここから先は住宅街になってゆこうかというあたりに、小ぢんまりとだが独自の美意識を突き出した書店があるのも、嬉しい。ポストカードやシールや、チラシ・ポスター類や、ピンバッジやアクセサリーなど小物雑貨も並んでいる。カフェと古書店と洋菓子店とが、そこだけ三軒長屋のように軒を連ねて、散歩を兼ねたご婦人がたが気持を休めるにうってつけの一画だ。
 「眼を皿にして古書を漁る」というような、とある時代の私を支えてくれていたような強張りは、どこをどう視回しても微塵も視当らない。それが嬉しい。

 嬉しくないのはこの暑さだ。それにあまりの運動不足。大汗をかいて、息切れしきりだ。本日もまた、用済み役立たずとなり果てた己を確認する一日だった。