一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ほんの芸術ですが



 芸術学部の入構口を進むと、守衛所脇の芝生の上に、岩石と木の板と、一部補助材としての鉄を使った、モユニュメントが立っている。題は『挑発しあうかたち Ⅱ』、一九七五年の作品だ。作者土谷武(つちたに たけし)はすでに他界されたが、美術学科彫刻コースの教授だったかただ。

 人工的に打ち出した丈高い岩石の頂上から、緩い昇り傾斜の板が、長く長くさし上げられてあった。作者によって想定された最初の局面だ。
 ある時そこへ、巨大な自然石が落下してきた。運悪く板に命中した。弾力不足だった板はたわみに耐えかね、途中からバキリと折れた。折れた先は落下石の重量に持ってゆかれ、地に落ちた。作者によって展開された物語だ。
 結果としてかような形が出現した。作者によって提示された作品の姿である。

 ところでこの「形」が彫刻作品である所以は那辺にあるか。右端の人工石から、左端のかつては空間に突出されてあったろう、だが今は V 字型に折られて地面近くで途切れてある板の先端まで、およそ十メートルの作品の、どの部分に最高の「空間の緊張」が観られるか。
 気持を空っぽにして、ただただ眺める。もっとも緊張している空間は、最高地点でバキリと折られた部分だ。丈高い人工石でも丸っこい自然石でも板でもなく、何もない空白部分である。上掲写真で申せば、お隣りの早稲田アカデミーさんの「稲」の字の上に当る。形を成す素材(物質)ではなく、物語に沿って素材が動くことで生じた非在空白こそが、この作品を彫刻たらしめているわけだ。

 文芸学科で小説を書きたいと考えている学生諸君に、私はこの彫刻をよく観ろと奨めてきた。
 岩石や板は素材だ。言葉であり登場人物である。落下してきた自然石や折れた板によって判明するのは、物語である。が、それが小説ではない。それらの組合せによってかもし出された、最高度の緊張空間こそが、その作文が小説である証となる。おうおうにして、書かれずに行間紙背に隠された暗示だったりする。書きゃあいいってもんじゃないのだ。
 なるほど解りましたと応えてくれた学生は、残念ながらほとんどなかった。

 藝祭三日目、長年の関心事にけりをつけようかと、彫刻作品の展示会場へ赴いた。初日二日目に次いで、三度目だ。受付学生に作者土谷武についてお訊ねしても要領を得なかったが、折よく付近で立ち噺されていた彫刻教授がいろいろご説明くださった。
 思えば私もトンチンカンだし失敬だ。眼の前の藝祭展示品についてではなく、三百六十五日いつだって立っているモニュメントについて質問しているのだから。今ごろなんでさような質問を、という顔をされたから、おおよそを申しあげた。当方は文芸学科の退職教員であって、学生諸君に小説の書きかたを説明するさいに、設定と物語と核心の例として長年利用させてもらってきたと。狐に摘まれたかの無言の間があって、そんなお訊ねはあなたが初めてだと、ひどく嗤われた。受付の学生からも嗤われてしまった。

 古本屋研究会の古書店堂々堂は、盛況のうちに本年営業を無事閉店した。久しぶりの出席者もあって、打上げもなごやかだった。会員には文芸学科生がもっとも多く、映画・写真などの専攻科生がそれに次ぐのだが、美術学科や音楽学科からの入会はほとんど前例がない。当方はウェルカムなのだけれども。
 ともすると文芸なんぞは、なかんづく古本なんぞは、およそ芸術とは無縁の世界と思われているのだろうか。ところがどっこい、当方もこれで結構芸術なのである。ただ実人生のすぐ隣りにいるだけだ。