一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ウェハボールゴン


 藝祭一日目。入場者制限も健康チェックもない、無規制大学祭は四年ぶりという。絶好の天候に恵まれた。

 わが古本屋研究会による学生古書店「堂々堂」も、予定どおり開店した。仕入れのもようから品揃えの特色が毎年異なるが、今年は大量の『キネマ旬報』バックナンバーと美術系の図録や写真集が売りだ。それとマニア向けに懐かしのレコードと CD だ。得意分野である文科系文庫と文学全集類もある。ビジュアル的には会員諸君の努力が存分に発揮された店づくりが実現した。
 破格の安値で、三日間売りまくる。客足の途切れを狙ってシャッターを切るのに、さんざん待たされた。出足はまずまずだ。
 定年退職と同時に顧問職からもお役御免となった私は、晴れてイチ平会員の身となったものの、下手に手伝おうなんぞという気を起すと、若者たちの足手まといとなる。顔見せ挨拶を済ませたら、あとは周辺をうろうろしているしかない。完璧な役立たずだ。
 へぇ、古研ってまだ続いてんだー、という台詞が出る古い卒業生のお客さまもあって、その場合にだけ対応に出る。
 

 入構口のアーチや垂れ幕・横断幕がない。祭の理念というか全体宣言ブチアゲはどこへ行ったのか? 老舗サークルのお家芸だった買い食いテントもほとんどない。スポーツ系および武道系サークルによる焼きそば・焼うどん・餅・ヤキトリ・お好み焼テントはどこへ行ったのか? 旅行サークルによるカレーのテントはどこへ行ったのか? 留学生によるチヂミ・トッポギのテントはどこへ行ったのか?
 代りにゴミ分別テントが増えた。飲食スペースのテントが格段に増えた。中庭のオープンテーブルを含めると、飲食店が少ないのに飲食スペースばかり設置してどうするつもりだろうか。入構口脇の一等地に交友会テントが張られて、卒業生休憩所となっている。担当さんが待機しているが、休憩者の姿はなく、暇そうだ。そんな所で休もうとする OB などめったにありそうもない校風である。

 不平を鳴らしているわけではない。疫病下にあって、大学祭中止の年と入場を学生に限って部外者入構禁止の年とがあった。ゼミもサークルも、伝統が継承されてないのだ。先輩から器具の扱いや技術を継承した学生が、もはや学内にほとんどないのだ。
 加えて、中止年はもとより規制年にあっても、すべからく事務方(つまり大学当局)の意向・指令に則って進行した。無規制にて再開となっても、学生・事務方双方とも癖が抜けないのだろう。
 「学生主体」は謳い文句でしてね、とは事情通のヤング OB からの情報だ。実際には学生の実行委員会と事務局とは車の両輪、いや先生、実情は事務局主導とも云えまして……とのことだ。

 納得がいった。入構すぐの本部テントで構内配置図や催し物一覧が示されたプログラムを渡されるのだが、地味かつ洗練されたデザインといい、スリムかつスマートな編集といい、印刷物としての完成度は格段に増している。かつての「微笑ましき下手くそさ」は微塵も感じられない。へそ曲りを申せば、愛すべき手作り感は消えてしまった。制作段階のどこかで、手だれ者の眼が通っていることは、印刷物を仕事にした経験をもつ者には一目瞭然だ。
 ミスコンその他、元来賛否両論あったきわどい企画は消えた。派手なコスプレで学内を歩き回る学生の姿も消えた。なん時間かに一度、楽器を掻き鳴らして意味もなく中庭を練り歩く音楽集団も姿を見せない。総じて、学生諸君が躰の内のクレイジーな欲望を発散する祭ではなくなった。整然たる、お行儀よろしい大学祭となった。良家の子弟や深窓の令嬢が集る大学であればそれも好かろう。が、権力からも大資本からも保護されずに腕一本で貧乏人生を生きてゆこうとする若者たちが、少なくとも今のところさような志を抱いている若者たちが全国から寄り集った大学の祭が、それでよろしいのだろうか。にわかには判断いたしかねる。


 一日前には、古本屋研究会倉庫を兼ねる拙宅から大学へと、埃を払ったダンボール箱計二十いくつかが、軽ボックス車でピストン輸送された。助手席にまで荷物を詰めこんた車に余分スペースはいささかもなく、会長(主将)は身を液体と化して隙間に挟まって移動した。
 少なくとも彼および仲間会員たちの情熱は無垢でありクレイジーである。そのことが堂々堂の店構えに、見事に表れている。