一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

登山口



 江古田には富士山がある。

 江古田駅に降りるのは、大学祭以来だから、五十日ぶりくらいになる。日昼の陽射しは季節外れの穏やかさで、まず北口の浅間神社に詣でた。拝殿の背後は樹木がこんもりと繁る小高い山で、富士山となっている。国指定の重要有形民俗文化財富士塚」である。
 登山に及んだ経験は、まだない。正月の元日から四日ほどまでしか、登山許可が降りない。一種の御開帳である。今は柵で鎖された登山口にレンズを向けることしかできない。
 柵が開かれる日には、山頂から正月の陽光を浴びようと、たいそうな人出となることだろう。眺望はどんなもんだろうか。山頂よりも高い建築物が、あっちにもこっちにも望めるはずだが。
 東京には、かような富士山がさて、いくつあることだろうか。江戸期あるいは明治大正期の富士山信仰の浸透ぶりが偲ばれる。

 参拝を済ませたら、駅南口へと回り、珈琲館へと赴くつもりだ。毎日愛飲のインスタント珈琲とは、味も香りも断然異なる珈琲を飲むつもりだ。山盛りのホイップクリームが添えられたシナモントーストを食べるつもりだ。そのつもりで朝食は抜いて家を出てきた。江古田への所用の日は、たいていそうしてきた。
 夕方から、新人賞の選考委員会だ。昨夜までに、最終候補作すべてについての感想をまとめてはある。わが推薦作も肚に入れてある。が、一夜明けて今日の気分で、自分の眼に狂いはなかったか、選考に勘違いを犯してはいないか、最終点検するつもりだ。
 珈琲館では、各テーブルの隅にも伝票の裏にも、席占有は二時間を目処とする旨が表示されてある。俗に云う珈琲一杯での長尻客への牽制だ。私の作業はやすやすとは済みそうもない。お代りの珈琲を注文することになる。

 浅間神社境内には、堂々たるケヤキの巨木がふた株、立っている。九分どおり葉を落した状態だ。
 江古田校舎と並んで、同じ大学の所沢校舎へも、週一で二十数年出勤した。航空公園駅からキャンパスまでのバス通りの両側は、えんえんと続くケヤキ並木だった。毎年凄まじい量の枯葉が舞い散り、アスファルト上に吹き溜った。
 キャンパス内にもケヤキの大木が十株以上あった。この時期の清掃員さんがたは日に二回、午前と午後にキャンパス中を掃いておられた。四辺をベニヤ板で囲って丈を高く改造したリヤカーで、集めておられた。

 落葉の量という点では、まことに厄介なケヤキではあるが、私は数ある雑木類のなかで、ケヤキの樹形がもっとも好きだ。わが町の神社にも、金剛院さまの境内にも、ケヤキはない。じつは少々あるのだが、目立つ場所に目立つ樹はない。
 浅間神社の建屋沿いには、満杯の七十リットル大型ゴミ袋がざっと三十以上も、ずらりと並んでいる。中味はすべて、ケヤキの枯葉である。
 しばらく立停まって、眺め入らずにはいられなかった。ご応募くださった作品のおおかたは、私の眼にまで届けられる前に散っていったと、子どもじみた感傷も湧く。