一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

大つごもり秘儀



 ここ一朴之宮大祭祀殿(巷での愛称は物置)では、例年大晦日の行事である「式年鍋替えの儀」が、つましくしめやかのうちにも古式ゆかしき恒例に則り、催されました。
 儀式次第を知る者は、伝承者たる一朴翁わずか一名のみという、世にかくれた秘儀中の秘儀であります。

 本年元旦より本日大晦日の朝食にいたるまで、すべての粥を炊いてまいりました卯鍋(写真左)は、その労を多とされ、年が改まりますと向う一年間の休息に入ります。代りまして、一昨年寅鍋の役職を全うしたのち丸一年間の休息に憩うておりました鍋(写真右)が、新たに辰鍋として甦り、来る年の拙宅台所において調理器具主務の役職を拝すことにとあいなります。卯鍋は一年後に巳鍋として甦る日を期しまして、明日より休息に入り、よくせきの員数不足か非常事態的大量調理の局面でも訪れぬかぎりは、ガスレンジ上に姿を見せることはございません。いわば予備役への編入であります。
 民俗学的観点からも視逃すべからざる儀式でありまして、昨年・一昨年同時期のブログにおきましても、「式年鍋替えの儀」は紹介されておりました。

 儀式に気持の余裕をもって臨むべく、祭司一朴翁は徹夜にて、年内予定分の年賀状を完成し、本早朝にすべて投函を了えました。
 「式年鍋替えの儀」が無事に済みましたら、一年の垢を剥ぎ落すべく銭湯にて大禊ぎでございます。
 そして夜が更けましたら「祭や」にて、ご近所飲み仲間との年越しカウントダウンとなります。なにせ完全徹夜からの続きゆえ、酒はひどく廻りましょう。睡魔に襲われるか、悪酔いして地金あらわとなるか、知れたものではございません。胸のムカムカか、さもなくば激しい胃痛に見舞われての迎春となるは必定でございます。
 先ほど本年最後の公共料金払い込みをかねまして、煙草と玉ねぎと、サラダ油と料理酒とを補充すべく買物に出ましたが、マツキヨに立寄り葛根湯を購っておきました。

 よろづに間に合わぬことばかり、手抜きばかりの年越しでございますから、今年は叶わぬかもしれませぬが、かつて一朴翁は、樋口一葉『大つごもり』を読返すことを大晦日の自分行事としておりました。翁の一葉評ときましたら、一が『にごりえ』二が『大つごもり』で、『たけくらべ』『十三夜』はかすかに落ちるという、権威ある学者先生がたを激怒させるがごとき大胆不敵なものでした。
 まさか『にごりえ』にも『大つごもり』にも、台所や鍋釜が登場するからとの理由ではありますまいけれども。