一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

山崎街道


 司修さんによる版画である。いく十周年目かの「風花」開店記念日祝賀パーティーにて、引出物として頂戴した。
 モデルはお店の守護猫だ。ある日の開店前、ママさんが扉を開け放ったまま掃除していたら、通りかかった猫がそっと店内を覗き込んだ。オヤッ、どこの子だろう、どうするつもりだろうと窺っていると、そろりそろりと入店してきて、そのまま居ついたという。
 L 字カウンターどん詰まりの、店にも客にももっとも邪魔になりにくく、かつ店内全容を観わたせる場所が定位置で、腹這うか横たわるかしていた。

 今日が「風花」の最終営業日だ。お報せがあってから何日も経ったのに、出向いてない。お世話になった年月と程度とを想えば、とんでもない不義理だ。
 定年退職+疫病騒動、以来すっかり出不精になっちまった。かつては三日も空けると新宿の灯が恋しくなった男が、さて新宿はいつ以来というていたらくとなり果てた。そこへもってきて、老人通有のことだが、つねになにかしら体調がすぐれない。肌寒さからも、著しく行動力を減退させられる。鼻水拭きふき「長年お疲れさまでした」なんぞと云われても、ママさんだって応対に窮されよう。
 忘年会や催し事の日は現今のご定連で満席立ち飲み状態だろうから、せめて谷間の日の盛り前の時間帯にひっそりかつポツネンと、顔を出させてもらおうなどと心づもりしていたが、その日は駄目この日は無理で、とうとう機会を逸してしまった。

 いよいよ最終日ということは、忠臣蔵で申そうならば、高輪泉岳寺へ向けて雪明け道の凱旋行進である。名だたるお歴々や、現今の「風花」を彩り支えていらっしゃるご定連がたや、著名人と記念写真に収まるのがお好きなかたがたで、隊列も沿道もごった返すことだろう。
 山崎街道のイノシシごときの出番ではない。

 唄います。
   蛍の光 窓の雪 
   文(踏み)読む月日 重ねつつ
   いつしか年も 杉(過ぎ)の戸を 
   開け(明け)てぞ今朝は 別れ行く

 くり返し、唄います。
   蛍の光 窓の雪
   文(踏み)読む月日 重ねつつ
   いつしか年も 杉(過ぎ)の戸を
   開け(明け)てぞ今朝は 別れ行く……