一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

素足


 雨傘を取違えた。正しくは、取違えられてしまった。

 川口青果店でだ。いつもの人参のほかに、さてなんにしようか。店先で思案し物色していた。寒くなってきたから、八か月ぶりに野菜と鶏肉の煮びたしでも再開しようかという気になっていた。生椎茸は必須。あとは、以前ならレンコンで決りだったが今は歯が……じゃが芋は余ってもどうにでも使えるが、煮びたしとするには味が月並みだ。さつま芋は甘味が出るが、品種により素揚げ加減では歯に……。
 入口の傘立てに雨傘を立て、店の奥へと歩を進めた。ピーマンが真向きなのは昨年確めたが、これは最後の手段だ。安きについてはならぬ。かぼちゃは美味くできるのだが、単品で普通に炊いたほうがさらに美味い。となると落着くところやはり茄子かぁ。よく出汁を吸ってくれて美味いからなぁ。
 とつぜん閃いた。長ねぎだ。昨年は使わなかった。それどころかなん年も使ってない。大束だと持て余すが、細めが四本でひと束。これなら余っても使いきれる。若布と合せてぬた和えに、味噌汁に、納豆や蕎麦の薬味にもとイメージが湧いた。
 問題はひとつだけ、予定外の長ねぎが私の買物袋から頭を突出すことだけだ。ままよ、サザエさんだっていつも買い物かごから長ねぎが頭を出していたではないか。

 私と同年配とおぼしき老人が、私のまえに買物を済ませ、店を出ていった。勘定を済ませて、長ねぎをなんとか袋に収めた私は、ウン、茄子よりむしろ面白いかもしれんと、自分の思いつきに満足して、傘立てから雨傘を抜出して店を出た。
 道みち算段する。あとはビッグエーに寄って、鶏胸肉のお徳用パックを買う。ショウガ、6P チーズ、納豆、牛乳一リットルパックなど補充して完璧。勘定後の作業台でいったん長ねぎを出してから詰めなおせば、買物袋はなんとかなりそうだ。
 で、ビッグエー入口の傘立てに雨傘を立てようとして、アレッ、俺の傘じゃない。俺の傘より大きいし造りも頑丈だ。だいいち柄の色が違う。今日は黒柄を持って出てきた気がするが、これは白柄だ。
 八百屋を出るとき、傘立てに傘は一本だった。同じ透明ビニール傘だから、無意識にそれを抜出して出てきてしまった。恐らくは私のまえに買物を済ませたあのご老人が、私の雨傘を抜いて帰られたのだ。なんてこった。
 しかし彼以上に間抜けなのは私だ。その場で気付けばよさそうなもんだ。色も大きさも、したがって柄の握り具合もこんなに異なるじゃないか。とって返すか。だが待て。川口青果店へ戻ってこれをお返ししたところで、俺の傘はない。帰りはどうする?

 やゝ思案して、結局予定どおり買物して、いったん帰宅した。冷蔵庫へ収めるべきは収めてから、お返しすべきビニール傘はタオルで拭き、畳んで、廻しベルトのホックを掛けた。新たに、今度は間違えぬように紫紺の布傘を差して、ビニール傘を手に持って出かけた。造りの良い傘が貧相な傘に替ったのなら、そのまゝにするのだが、逆なので気が差す。
 「女将さん、申しわけないことしちまった。これ、俺の傘じゃねえんだ。傘立てに一本しか立ってなかったから、俺としたことが、なんたる間抜けなことに……」
 「おや、じゃ前のかたが。いゝんじゃないの、気が付きゃしませんよ」
 「でもこっちのほうが上等なんだ。両替詐欺で儲けたみたいでねぇ」
 「かまやしませんよ。めったに来ない人だし、気づくような人じゃないから」
 結局、布傘を差して、上等なビニール傘は手に持ったまゝ、帰ることになってしまった。

 せっかく出てきたんだから、用を一つ足そうと、遠回りして郵便局を目指す。
 銀行 ATM の角で、鳩が一羽舞い降りてきた。クルルークルルーと鳴声を真似て話しかけてみた。鳩は一瞬足を停めてこちらを視た。眼が合った。
 ―― なんの音かと思ったら、おまえか。おまえなんかにゃ、かまっていられるかっ。
 当方に敵意なしと視切ったか、鳩は右に左にと頻繁に方向チェンジしながら、濡れたアスファルトを突つき回して歩く。雨とともになにか腹の足しになるものでも、道路に降ってきているんだろうか。アスファルトのかすかな凹凸がうっすら水たまりになっていて、人には影響なくとも、鳩にとってはクルブシの上までくるほどだろうが、それを避ける気配もなく、平気でジグザグ行進していた。

 郵便局では、年賀はがきを七十枚と通常官製はがきを十枚買って、サービス品の使い捨てカイロを一枚いたゞいた。このところ賀状の枚数もぐんと減ったから、ゴム印を使っての手造りだ。

 以前コンビニが斡旋してくれる印刷所に依頼したことがあった。見本カタログに書家の筆文字をあしらったデザインがあって、気に入ったから依頼した。そのコンビニで年賀はがきを買って依頼する仕組みだった。
 百枚買えば、当然ながら未開封袋入りの連番である。だのに刷り上ってきた完成品を点検してみたら、抽選番号の下二桁 44、49、99 などのはがきが二十枚近くもあった。下三桁 444、449 まであった。
 業務用に大量購入した企業なり商店なりにとっては、大切なお得意さんに送りにくいはがきとして、あらかじめ弾くのだろう。さような番号のはがきばかりが、どこかに大量に溜るのだろうか。ともするとそれが、裏ルートで安く取引きされているのだろうか。それとも、忌み番号を月並番号に交換するサービスを、コンビニか印刷所かがやっているのだろうか。それがこうしたしわ寄せとして、取るに足りない印刷依頼客に渡す商品に活用されるのだろうか。
 はがき代とは別に、当方は印刷代もお支払いしているのにである。なるほど、ご商売である。私の住所氏名付きで、印刷できてしまっているのだから、今さら不平も鳴らさなかった。コンビニのカウンターに事実の指摘もしなかった。たゞ翌年からは、依頼しなくなった。

 私はたしかに、外出時に玄関先で切り石を打つし、大事な仕事の日には「カツ」と名の付く食品を口にする。験担ぎが好きなほうだ。かといって験担ぎに真剣とは申しがたい。自分に心理調整剤を注入しようと、愉しみとしてやっているに過ぎない。下三桁 444 のはがきでもへっちゃらである。
 むしろ真剣じゃないから、験担ぎするのかもしれない。縁起が悪い、なんぞという感覚は、なにものかからつねに護られてあると思いこまねば、かたときも生きていられない、人間という生き物の途方もない弱さから発生した感覚なのかもしれない。
 それに引きかえ鳩は、体重にして百五十倍以上もある異生物がすぐ近くに立って眺めているのに平気で、クルブシ以上もある水のなかを素足でチャプチャプ歩いている。