一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

祝賀の夜



 「いよゥ!」
 久かたぶりに顔を合せても、気軽にグータッチで挨拶できる、今のところ唯一の友人である。

 一千日連続投稿の日を健康で達成できたことなんぞ、どなたにとってもどうでもよろしい、まことに私一個の祝賀だから、独り祝杯を挙げたくなった。飲みに出るには早い時刻だし、まずひと風呂浴びてという気分でもない。とりあえずスグ飲みたいのだ。ガス台に鍋をかけ、燗づけの用意だ。
 冷えてきた。ひと口めは飛びっきりの熱燗で、などと思っていた。居酒屋で「熱燗」と注文しても、月並な温度の酒が出てくるのを、どうにかならぬものかとかねがね思ってきた。せめて今夜くらいは。

 北フランス土産にいただいた鰯の缶詰が未開封のままだったので、今夜こそ適当と考えて開けた。ピザに載ってくるアンチョビのような塩の強いものを予想していたが案に相違して、ノルマンジーの鰯缶は日本人の舌に馴染みやすい味だった。マヨネーズを少々添え、五味(わが手製の、七味に二味足りない)を振った。
 自宅では一本飲み切りが普通だが、ちびりちびりやったつもりだったのに、一合三勺入る鶴首がほどなく空になった。銭湯へ出かける気分も起きてこない。ガス台に火を点けた。長茄子の味噌漬を少々刻んだ。

 二本目が空いたころには、銭湯などどうでもいい気分になっていた。かといって今さら、博多屋で〆鯖だ豆腐だポテサラだといった気分でもない。おりしも土曜日。祭や(SAJYA)の営業日だ。ご店主の兼業が疫病下に忙しくなり過ぎて、目下は土曜のみ開店という変則営業を続けている。
 首にタオルを巻いた上からマフラーをして、厳重防寒にて出かけた。そこで齢の差最大友人と再会したわけである。かようなこともあるかと、ポチ袋を用意してあったので、年頭挨拶としてお年玉などお渡しした。 

 一千日前といえば、彼が母親引率のもとサッカー教室に入会したものの、周りは上級生ばかりで、「やって行けるのかしら、あの子」と母親は心配しきりだった。今日は試合形式の練習でパスを通せた、初めてゴールを決めた、コーチも認めてくれている、ウチの子はあんがい才能があるかもしれない、初めて後輩ができた……いやはや周囲の大人たちはたいへんな騒ぎだった。
 私の眼からは、この二年半で身長が倍になったのではと思えるほど、この時期の成長は早い。ふた月も会わずにいると、また伸びたかと思わせられる。

 今夜は新しいタブレットを大事そうに手から離さず、カウンターでゲームに興じている。次つぎ移り行く障害物の多い風景から、新手の敵が姿を見せるのを、やっつけたり呑み込んだりしながら、コレが一番強いんだと説明してくれる。カラフルな画面とスムーズな動きに、綺麗なもんだなあと感心しているうちに、あれよあれよという間に、場面は転換してしまう。その速度に私はとうていついてゆけない。

 数日前に、友人は誕生日を迎えたという。ご店主の計らいで、ミニ誕生会のひと幕があった。ロウソクが吹き消されたあと、ご店主からワッフルの詰合せ箱がプレゼントされた。一番好きなのを自分で取って、あとは客全員にお裾分けするとのこと。だれにはなにが似合いかは主賓の見立てひとつによる。パーティー用紙皿に載せられたキャラメル味が私の前に置かれた。
 ふ~む、俺ってこういう感じか。しみじみ味わいながら、ひさびさのワッフルをいただいた。