一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

暑中憚りながら〈口上〉

    

 年々歳々の異常気象、もはや年中行事のごとき熱暑の日々を迎えております。いずれも様におかれましては、ご体調管理にご工夫の毎日かと拝察申しあげます。
 また台風シーズンでもございませんのに、時ならぬ集中豪雨による不慮の災害に遭遇されたかたにおかれましては、心よりお見舞い申しあげます。

 さて手前ごとにて畏れ入りまするが、一昨年五月三日に本「一朴洞日記」を立上げましてより、本日かくご挨拶申しあげる光栄に浴しますことで、連続投稿八百日を数えるに至りましてございます。
 この間、大過なくパソコンに向えましたる幸運にも恵まれはいたしましたものの、なんと申しましても、日々有言無言のお励ましをくださいました読者の皆々様のお支えなしには成りえなかったことにて、改めて厚くあつく御礼申しあげますとともに、この区切れ目の日にひと言ご挨拶申しあげる次第にございます。

 すでにいく度かの区切れ目にて申しましたとおり、そもそも当日記は世間と没交渉となり果てました独居老人によります、生存確認の発信が第一の目的でございました。
 SNS 等の更新が途絶えますたびに、あの男いずれかで行倒れたのではあるまいか、はたまた陋屋にて孤独死のままに放置されてはおるまいかと、ご親切な知友に対しましてあらぬご心配とご面倒とをおかけしたことがございました。実際には、なにごとも異変なき場合と、救急車騒ぎを起して拉致にも近き急遽入院生活に入っていた場合とがございました。
 かようなご心配をおかけせぬよう、常日頃から内容乏しき日常些事なりとも、なにくれとなく発信しておく心掛けが肝要と、思い至った次第にございます。

 おりしも一昨年春、最後の職場を定年退職いたし、まったき無為徒食の身となり、世間さまとはいっそうの没交渉となりました。掴み処も足掛りも皆無ののっぺらぼう生活では、またたく間に認知症老人となりましょう。かと申して、シルバー・ボランティアではいかにも善人ぶるようですし、ジョギングやジム通いは健康オタクめいて気が進みません。
 で、若者もすなるブログというものを思いつきました次第にございます。毎日書くことを日課にいたしますれば、睡魔襲来まで三十時間以上も起きていることは減りましょうし、ぶっ通しで二十時間以上眠ることも避けられましょう。不規則生活の悪癖がいささかなりとも緩和されるかと、期待いたしたわけでございます。
 折れ線グラフのための点を打ってゆく作業に似て、生活リズムの維持に多少は裨益いたしました。今日まで連続投稿してまいりました原動力にも、なっておりましょう。

 かような動機でございましたから、もとより記述内容の水準ですとか品格ですとかには、はなから興味がございませぬ。むしろ世間から脱落した身なればこその頑迷やら狭窄やらは大歓迎。不行儀でさえなければ、下品も恥知らずも容認する覚悟で書いてまいりました。これからも、さような覚悟で臨みたいと考えております。
 若き日、一九六〇年代に異能なる先達らの影響を受けまして、ろくに真意に思い至ることもなくオウム返しに唱えておりました「人間なればこそ猥褻なのだ」といったドグマを、今なお信奉し続けているような按配でございます。
 健康管理技術の拙劣さゆえ、さほどの長命は期待できぬかとも懸念されますが、なろうことなら長く生きて、「典型的な昭和エロジジイの生残り」と称ばれるようでありたきものと念じております。

 これからも、読者のいずれも様に対しましても、お役に立つようなことは、まず書きませぬ。天下国家を論じませぬ。絞りこんだ単一主題なり趣味なりを深く追求するような、生真面目なブログにはいたしませぬ。取るにも足らぬ、しかし偽りなき、身辺些事と妄想のみを書き綴ってまいる所存にございます。
 ブログ立上げのさいに、いまだ名付けえずモヤモヤと掴みがたかった目処を、当てずっぽうに「老残妄言」として、副題としておきましたが、八百日後に思いますのに、まんざら的外れでもございませんでした。
 調律不備の弦の音に、音程定まらぬカスレ声、見目いとうるわしからざる姿をもちまして、老残の舞をひとさし、お眼にかけたく存じております。

 読者さまにおかれましては、今後ともいく久しくご愛顧お励ましをたまわりまするよう、どうかどうかよろしく、おん願いあげ、た~てまつりますぅ。