一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

雪の春



 雪が降ってきた。まずは物干し台から眺める。

 立春過ぎてからでも、初雪と称ぶのだろうか。
 いつだったかのラジオ番組中に、ここ赤坂ではとか、ここ渋谷ではという台詞があって、都内の一部ではかすかな雪降りがあったらしい。わが町には降らなかった。今日が初雪である。気象予報では都内にも降雪注意報が発せられて、交通への影響を覚悟せよとのお達しだ。車には冬用タイヤかチェーンを準備せよとのことだった。ホントかなあ、また「ここ赤坂では」じゃないのかなあ、との疑念もあったが、本当に降ってきた。


 向う三軒両隣というが、顔馴染みがめっきり減った。片隣には歯科医院さんやクリーニング請負いを兼ねた小間物屋さんがあった。もう一方の片隣には日本銀行の社宅があった。今は空地とコインパーキングだ。
 向う三軒のうち二軒は集合住宅で、お付合いのあるかたは三人しかない。外国人さんがなん人もいらっしゃるようだ。もう一軒は音澤さんのお勝手口だったが、つい最近解体なさった。

 わずかの積雪でも、各戸からの出入りにも車の往来にも支障をきたす。早朝の雪かきは私の仕事だった。善意の奉仕なんぞではない。季節には拙宅の落葉が、ご近所をおおいに汚す。お手間をおかけしている。せめてもの罪滅ぼしだ。
 まず拙宅前の道路の雪を拙宅ブロック塀ぎわに寄せて、アスファルト面が見えるようにする。車の往来はもちろん、コインパーキング会社が設置した飲料自販機へも近づけるようにする。次に歯科医院さんの入口を、通いの看護婦さんや患者さんが出入りしやすいようにしたもんだったが、その必要はなくなった。
 次はマンションの一階に住んで戸口が往来に直接開いている粉川さんのお婆ちゃんの部屋の前だ。住民共同駐輪場にもなっているから、大袈裟な手出しはできない。往来から戸口までの五メートルほどに、幅一メートルの小道を作っておく。
 最後が音澤さんのお勝手口だが、ここはお出入りが少ないので、どうしても最後になった。しかしそのお勝手口は、つい先日姿を消した。

 気象予報によれば、小降りながらも夕方から夜半にいたるまで降り続くそうだ。明日の朝は積もっているのだろうか。それとも気温に溶けてしまうていどで済むだろうか。雪質にもよる。予報官は雪質までは教えてくださらない。

      
 池袋から文京方面。

 ♬ 雪がとけてきた ほんの少しだけれど
   私の胸の中に 残りそうな雪だった
   灰色の雲が 私に教えてくれた
   明るい日ざしが すぐそこにきていると
   すぐそこにきていると(『白い想い出』二番 詞・曲  / 山崎 唯)

 古い茶箱の底を掘返せば、ダークダックスのドーナツ盤が出てくるかもしれない。今となっては思い出すことすらできない、思春期の感傷をもって聴き、口ずさんだ唄だ。
 山崎 唯さんは細身で優しそうな笑顔をいつも絶やさぬ、細い眼で四角張ったお顔のかただった。ピアノを弾きながらの軽妙な話術で、茶の間に和やかさを届けた音楽家だった。
 「テレビに映るピアニストの指では、この人の指が一番きれいだねえ」
 母は、山崎 唯さんの指のファンだった。

 今、歌詞を読んでみると、厳しく怖ろしい唄だ。よくもまあ平気で唄っていられたもんだ。どれだけ読解力がなかったのだろうか。一番を書き写す気には、とうていなれない。だがその一番あってこそ、この二番がある。
 華やぎにも時めきにも乏しい暮しだったが、俺の胸にだって一センチくらいの雪は残っていらあ! パジャマ姿のまま物干し台へ飛出して、震えながら感じたことを、あえて言葉にすれば、そんなようなことだ。