一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

雪判定



 雪かきする、しない。さあ思案のしどころだ。

 小説家の額賀 澪さんが X でこんなふうに呟いている。丑三つ刻ころの投稿だ。
 「雪国出身のルームメイトがこんな夜中にマンション前の雪かきを始めた。凍る前にやってしまいたいらしい。」
 雪国ご出身でないらしい額賀さんには、軽い驚きか呆れる気持かが湧いたものと見える。雪国にルーツをもつ私には、そして今も親戚の多くは雪国在住にして、この時期の挨拶は「今年の雪はいかがですか」から始まる私にとっては、ルームメイトさんのご判断がむしろ普通である。

 東京は雪に弱い街だ。このていどの雪で交通渋滞したり、鉄道ダイヤが乱れたり、滑って転んだ怪我人がニュースになったりするのを、雪国の住人はなんと思うだろうか。道行く人びとを観ても、踵が全然使えてない。雪道の歩きかたを心得ないかたが、あまりに多い。
 加えて東京の積雪には、雪国にはない独特な判断が求められる。道筋が消えてしまったり、戸口が塞がってしまったりすることがない代りに、雪かきをすべきか放置すべきかを視極めねばならない。わずか三センチ五センチの積雪だけに、判断を迫られるのだ。いっそのこと十センチ積もってくれれば、いやおうなく雪かきをしなければならぬのだが。
 午前二時、六時、九時と三回、往来へ出てみた。判断するに微妙である。


 大袈裟な雪かきには及ばないと判断した。気温の上昇が期待できる。小雨も降っているようだ。気温と雨とで、雪は消えてゆく。道路脇に寄せて雪山をなしてしまうと、かえってそれだけが密度の高い雪塊となって、後あとまで残ってしまう。自然気象に委託したほうが楽だし、賢い判断といえそうだ。
 ところが十一時、もう一度往来へ出てみると、まだ小雨が降ってはいるものの、期待したほどには気温が上ってこない。摂氏二度のままである。このぶんだと夜半まで残り、明朝あたり凍結化の危険なしとしない。急遽プラン B に切換えた。

 道路脇に雪山を築くことはしない。逆に両側に積もった雪を、スコップで道路中央へ放り投げる。正確には中央のやや両脇、つまり通り過ぎる車のワダチのあたりへだ。そのあたりにはすでに雪はなく、ただアスファルトが濡れているばかりとなっている。そこへ雪を放り出して、車のタイヤで轢いてもらうのだ。拙宅前と、粉川さんのお宅前と、飲料自販機前ていどの雪であれば、五台か十台の車が轢いてくれるだけで、アッという間に水になってしまう。
 作業を進めるあいだにも、三台四台と軽トラやワゴンが通りかかって、どんどん実績を挙げてくれた。

 ものの三十分で作業を了えた。さて寝るか、とは思ったが、予定よりだいぶ長く起きていたため空腹だ。かといって一丁前に食事したのでは、食後ただちに就寝というわけにもゆくまいから、またしばらく起きていなければならない。なにかぜずにもいられまい。今日分の日記を書いてしまおうか。ついでにビッグエーの買物も済ませてしまおうか。セブンイレブンで電話代を払い込まねばならぬし。そうなればまた、眼醒め時間過多だ。一日半も二日も眼醒めていて、半日爆睡する悪循環となってしまう。
 電荷を帯びて埃を引き寄せては、まっすぐ地に落ちる雪のおかげで、昨日から鼻の調子がとても好い。気分がよろしい。つい就寝を忘れる。寝て起きてみたら、てっきり花粉症かと信じかけたのは気の迷いと思い込みに過ぎなかった、なんぞということにはならぬものかしらん。