一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

吹きだまり




 落葉を掃き集めただけのことである。

 桜樹の葉が散り始めた。花梨はまだ散り始めない。年越しまでに桜は落葉の山を越える。花梨は年を跨いで散り続ける。
 往来を汚す。ただし道幅いっぱいに落葉が散らばるというほどでは、まだない。私一個の料簡では、惨めなほど醜いとは思えず、放置したところで通行のご迷惑というほどではない。しかし風に吹かれると落葉は転がってゆき、よそ様のご門前を汚す。ご迷惑だろう。ご近所さまの顔を視かけると、しばらくのあいだご迷惑をおかけいたしますと、あらかじめお詫び申しあげてある。どういたしまして、花の時期には愉しませていただいてるんですからと、どなたさまも鷹揚なご返事をくださる。むろん社交辞令だろう。内心では、身勝手で近所迷惑なジジイと思われているかもしれない。
 視るに視かねて、どなたさまかが掃きとってくださりでもしたら、それこそ眼に見える実害的ご迷惑というものだ。じっさい過去には、さようなこともあった。しかもお手を煩わせてくださったかたは、自分がやっておきましたと、けっして名乗ってはくださらない。お宅さまですかと、まさか一軒いっけんにお訊ねして回るわけにもゆかない。
 やはり自分で早めはやめに掃いておくしかあるまい。

 まず玄関周辺の然るべき場所に、スコップで穴を掘る。まだ落葉の最盛期を迎える前の今朝なら、径四十センチ深さ二十センチていどの穴で用が足りる。
 で、箒と塵取りの登場だ。まずは東隣の、道路建設用地を緑色の金網塀で囲った空地に面した往来脇からだ。コンクリートの側溝蓋の上には、拙宅から風に運ばれていった枯葉がまばらながら長く行列してある。常時眼を光らせる管理人はない。
 ご夫婦とおぼしきお二人が通りかかった。眼の端で捉えただけで気にも留めずに作業していると、おはようございますと男声でご挨拶されてしまった。慌てて声を張った挨拶を返した。私よりは少しお若そうで、お揃いの深緑色のジャージ上下に身を包んでおられる。ご亭主がウォーキングを始めて、奥さんを誘ったのだ。同色のジャージながら洗濯による色褪せのていどに差がある。
 管理人のない空地の前を清掃する殊勝な年寄りとでも視られてしまったのだろうか。違うんです。拙宅の樹の葉なもんで、責任を感じてるだけなんですと思ったが、もちろん口に出すことではなかった。
 あるいはご夫妻は、ウォーキング中に眼に留まった住民だれに対してもご挨拶なさるかたなのだろうか。さようなかたも珍しくはない。これまでにいく度も声をかけられたことがあった。

 次は拙宅前のブロック塀沿い。つまり桜樹の直下である。風の都合かそれともいかなる事情か、西隣のコインパーキング前には、落葉が溜ることはない。それでも東と正面の往来脇だけでも、塵取りの枯葉がこぼれぬように箒で抑えながら、穴とのあいだを三度四度と往復した。

 次は拙宅の駐車スペース。つまり往来から凹んだ箇所だ。吹き巻く風に運ばれた枯葉たちはここに迷い込むや次なる行き場を失って、三辺かふた隅かに吹きだまる。往来よりもはるかに大量の落葉を収穫するのは、例年のことだ。今朝掘った穴は、ここで一気に満杯山盛りとなった。
 穴上に小山をなす枯葉を両手で揉む。シャワシャワと小気味よい音と手触りで枯葉は細かく砕けてゆき、嵩も減って山が平らになってゆく。同時に駄菓子の包装フィルムだの煙草の吸殻だのといった不純物を摘み出す。
 宅内にとって還し、ビニール袋に溜めておいた不純物ゼロの生ゴミを冷蔵庫から出す。大根・人参・じゃが芋の剥き皮である。生ゴミをそのまま地中に埋めると、ガスを発生してかえって土に害をなす場合もあると、先日大北君から教わったので、ビニール袋の口を開けて、自然乾燥させてあった。といってもたいして日が経ってはいないから、生渇きの状態だ。

 ビニール袋の中身を穴に放る。土中微生物が少しでも近くにまつわり着いたほうがよろしかろうから、掘りあげた土の半分を穴に振りかけ、スコップの先で枯葉と生ゴミと土とをざっと掻き回す。なじませる、といった感じだ。で、地表を覆うように残りの土をかける。
 踏んづけてみても、マウンド状にいくぶん盛上っている。如雨露に水を汲んできて、たっぷり注いでやると、現金なもんで見事に平らになった。
 この三週間ほどに仕立てたカレー・ビーフシチュー・肉じゃがの根菜は、これをもって一片も余さずに、すべていただいたことになる。今朝の三十分作業は、まあまあ悪い気分でもなかった。