一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

陽射し戻る



 空地にて。

 思いのほかの陽射しが戻った。拙宅前は跡形もなくさっぱりした。ご近所を一巡してみても、気温と地熱と車輪に委ねた場所はさっぱりしている。道端に雪山を築いたお宅では、山が小さくなってゆくのはまだこれからだ。建物の北側で陽射しを遮られた場所だけが、今もまだらの雪景色である。

 昨夜のことだ。とある空地に巨きなハートマークがあった。立入禁止の目印に蜜柑色のネットが張り回してあったが、雪の重みや風に、支えの棒杭からネットがずり下がっていた箇所を跨いで入った人があったと見える。褒められた行動とは申せまいが、気持ちは解る。
 咄嗟の悪戯ごころにはちがいあるまいが、侵入前に明確なイメージを確定させてからネットを跨いだようだ。ハート図形の周囲に足跡がひとつもない。みずからの足跡の連続および靴底をずらしながらズリズリとにじり進むことで、図形にしてある。一発勝負の即興だが、それにしては見事に左右対称の図形となってある。
 決断力のある悪戯だ。他愛もない自己満足と嗤って済ませてもよろしいが、行為者にはシテヤッタリのかすかな達成感が胸に生じたことだろう。なんだか微笑まれる。


 同じ空地の南側塀ぎわには、石組が残ってある。かつては、さぁて昭和四十年ごろまでだったか、南接する一帯には木造平屋の長屋が向い合せにいく棟も建っていて、ハーモニカ横丁が形成されていた。路地は悪ガキたちのビー玉競技場だったりもした。いまの空地との境界は四つ目垣で仕切られてあった。
 空地には一戸建ての日本家屋が建っていたが、当時のご当主は、敷地の南側に石と緑を配して、お庭を愉しんでおられたのだろう。

 その後、長屋はきれいさっぱり取り払われて、三階建て以上のビルがいく棟も建った。道路に面しては商業店舗に、奥まってはマンションになり、北側との境界はブロック塀となった。北側の半分の陽射しは失われた。北側のご当主も、大改築なさって二階建てを敷地一杯に巨きくされ、往来に面した方向にもブロック塀を張り回した。お庭の愉しみは断念されたのだったろう。道行く者の眼にはいっさい見えぬ空間となった。
 それから、はてなん十年かして、今は空地だ。ここでお庭を愉しまれた、そして時代の趨勢によりやむなくお庭を断念された先代ご当主がご他界なされて、はやいく年になるだろうか。次代ご当主によるご決断により、今は空地となってある。

 たいへんご無礼な申しようで恐縮だが、次なる工事を待って今は空地の南側塀ぎわに居並ぶ石たちが、私の眼にはなにやら遺跡めいて見える。