一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

悪いはキレイ


 山咲千里写真集『フェティッシュ』(撮/ピーター・アーネル、スコラ、1994)より

 悪そうな女が好きだった。

 たとえばヒューマン・ドキュメンタリーに、二トントラックを転がして二児を育てている陸送の女性ドライバーが出てきたりする。十代のヤンチャ盛りには、レディースの頭だった。シングルマザーとなり、トラック母ちゃんになったについては、それはそれは、口にはできぬ種類のわけがある。
 ほォー、いい女だなァと、ことのほか心惹かれたりすることがある。

 山咲千里に強く惹かれた短い時期があった。お若いころはセックスアピールの強くない、小ざっぱりした印象の女優さんだったのが、ある時期から突然変貌した。私好みの、やや変態気味のセックスアピールを前面に押出して、ピタリと嵌ったのである。
 演技ではなく、ヴィジュアル上のイメージ世界だった。写真家やアートディレクターと共謀しての、被写体としての世界だった。瞬間最大風速とでも云うか、この時期の山咲千里は凄まじかったと、今でも思う。

 彼女自身も女性美の追求に志ある人だったとみえ、アッという間に提案される世界はエスカレートしていった。美容・化粧・服飾のカリスマのごとき発言や振舞いが眼に着くようになった。私は離れた。
 心ある巡礼にも行者にも菩薩にも、興味がある。悟りの境地で垂訓する如来に対しては、私はほとんど興味がない。
 山咲千里写真集『フェティッシュ』(上記)と『ホワイト・ムーン』(撮/大沢尚芳、スコラ、1994)の二冊を古書肆に出す。
 それらに先駆けて、山咲千里の危険臭を打出す走りともなった『フラッシュ』のバックナンバー1992年2月11日号と3月10日号の二冊も付けて出す。


  秋本奈緒美写真集『ウーム』(撮/渡辺達生ワニブックス、1992)より

 『オールナイトフジ』の二人司会者の一人として秋本奈緒美が登場したときは衝撃的だった。男人気は相方のいかにも美形美顔の鳥越マリに集中したようにも見えたが、秋本の尋常でない臭気には惹かれざるをえなかった。なにやらイケナイ夜の空気を漂わせていた。調べてみると、ジャズ歌手志望の少女だという。たしかに昼ひなかに跳ね回るアイドル・タレントや女優志願とは、異なる雰囲気をかもし出していた。

 その後女優の道を歩んでからも、長身で背筋のきれいな秋本が、過去を引きずる女だの内心に邪念を秘めた女だのを演じるときには、ピタリと嵌って揺ぎない気配があった。ゾクゾクするような悪い美しさである。誰にも知られる世界的有名キャラクターを引合いに出せば、マクベス夫人の毒々しい美しさだ。
 年輪を重ねるに及んで、子を想う母親だの主人公を庇う善良な後援者だのといった役を振られることも避けられなかったが、そんな役は秋本奈緒美でなくてもよろしかろうと思えてしかたなかった。円満な好人物なんぞを、この女優に演じさせてはもったいなかろう。

 だが映画もテレビも観ない暮しを十年以上も過す私に、今現在のドラマや俳優を語る資格があるとも思えない。秋本奈緒美写真集『ウーム』を古書肆に出す。
 そう云えば『マクベス』冒頭で、寒風吹きすさぶ荒野に屯する妖婆(魔女)の一人は、通りすがったマクベスに向って、「きれいはきたない、きたないはきれい」と意味不明の呪文(予言)を投げかけたのだった。悪いはキレイ、ということだってありうる。