一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

未パネル



 被写体は斉藤慶子さんだ。写真集ではない。ウイスキー会社が発行した、一九八四年のカレンダーである。写真撮影は篠山紀信

 カレンダーといっても、製本されてない。大判写真の六枚組セットだ。各写真の下部に、写真を妨害せぬ色合いで、ふた月ぶんの日付数字が小さく行列している。カレンダーとしての役割を果せると、考える人はないだろう。このままポスター額に収めて、六枚の写真パネルとして壁を飾る用途が想定されてある。
 いかなる手筈を講じたのだったか、どなたのお知恵を拝借したのだったか、とんと記憶にないが、なにやら苦心して入手した覚えはある。


 アイドルらしくないアイドルだった。明朗さを誇示してはいても、視聴者に媚びてくる感じがまったくなかった。むしろ心の奥底では、冷めた眼でファンをも自分自身をも客観視しているのではないかとの、印象があった。夢中だの熱狂だのといった、忘我の気配が皆無だった。
 整った顔立ちと屈託なさげな笑顔は並外れていて、薄幸そうな翳りや意地悪そうな性格など、これっぽっちも見られない。にもかかわらず、どこかに理知的な冷たさが予感される。その知的ギャップゆえに、同世代アイドルたちとのあいだに一線が引かれてあった。
 こういう女性は、さぞや賢く立派な人生を送るのだろうなあ。けれども国民的アイドルだの、大歌手だの大女優だのには、ならない人なのかもしれないなんぞと、失礼ながら勝手に推測したもんだった。

 開封はした。大判写真として眺めさせてもらった。だがついにパネル額にはしなかった。ために発行当時の袋まで、経年変化を見せながらも揃っている。KEIKO/KISHIN と大書されたオリジナル袋だ。
 かようなものを古書肆が扱ってくださるかどうかは知らない。ともかくも出す。

 斉藤慶子さんをパネル額化しなかったのには、事情があった。部屋が狭く、物があまりに多かったのだ。高校生時分から置きっぱなしの、巨きなパネル額がすでに二面あって、壁面はもうなかった。先住パネルは、シルヴィ・ヴァルタンアン・マーグレットだった。