一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

浪漫へのためらい


 短い期間だったが、サン=テグジュペリに関心を抱いたことがある。といっても、大ブームに浮かされて『星の王子さま』に夢中になったわけではない。異様なまでの大空への憧れ、飛行機を偏愛する心の奥底を覗いてみたかったのだ。

 西欧と南米とを往来する郵便飛行機の操縦士だった。志願してフランス空軍士官となったが、戦闘機や爆撃機への搭乗を拒み、偵察機による空撮勤務に従事した。いったん予備役に退いたが、第二次大戦で召集を受け、飛行教官の任務に就いた。
 ドイツに占領されたヴィシー政権下では、アメリカへの亡命も経験した。そこから自由フランス軍の空軍部隊に志願して北アフリカ戦線で、ふたたび偵察機任務に就いた。年齢と視力の点から搭乗任務は許されぬはずであったが、すでに有名作家だった彼は八方に手を回して、望みを実現した。
 そして任務により単機で飛び発ったまま、行方不明となった。ドイツ軍機によって撃墜されたとの説があった。ドイツ士官にも愛読者は多く、サン=テグジュペリ搭乗機であれば撃たなかったのにとの後悔の弁もあった。期待不具合による事故説もあった。ふさぎの虫に憑かれる気性から推しての、自殺説まであった。死因の謎が『星の王子さま』をいっそう神秘的にした。

 が、私の関心はそこにはなかった。処女作『南方郵便機』にもベストセラー『夜間飛行』にも、問題作『戦う操縦士』にすら共通する、大空への憧れの正体を知りたかった。地を離れ、空を飛ぶことによる快感に、想像つかぬではない。が、彼の満足度・悦び・自由達成感はあまりに過剰である。今日云うところの自己承認欲求なるものの範囲に収まるものなのだろうか。
 端的に(図式的に、極端に)申せば、彼は偵察機任務をもっぱらとし、戦闘機や爆撃機の操縦桿を握らなかったとされてはいるが、偵察機だって、軍事兵器・殺傷兵器である。はるか眼下には非戦闘員たる無辜の民が無数にあったことを、どう感じていたのだろうか。
 青臭いことを云うな、平和のコストとは非情なものだとの考えには、私も同感だ。キレイゴトを申す気はない。ただ、彼は飛行機乗りとなったとき、すでにして作家だった。「青臭いこと」が、作品に採り込まれる、翳りを落すことはなかったのだろうか。少なくとも小説作品には、空に浮ぶ悦びのほうが強調されてあって、翳りのほうは視当らない。いや、若き未熟読者たる私には視分けられなかった。

 当時私は途中所見として、ひとまずかように位置づけた。無垢な浪漫主義(欲求に正直・誠実)は、ある種のダンティズムに貫かれてある。ダンディズムの文学を解明するには、彼が何を書いたかを読むだけでは不十分で、彼が何をあえて書かずに口をつぐんだかを読み取らなければならない、と。
 サン=テグジュペリの小説ではなく、手記・日記・書簡などへと深入りしてゆかねばならぬと考えた。資料の翻訳は当時も一部はあったが、まだ十分でななかった。いずれそのうちと思いながらも、サン=テグジュペリは私の関心から外れた。

サン=テグジュペリ(1900 - 推定1944)

 地中海漁師のトロール網から、サン=テグジュペリと妻の名が刻印されたブレスレットが出たのは、一九九八年だった。遺族の意向や国家間の権利問題などでゴタゴタしたあと、彼が搭乗した機体ナンバーが確認できる部品が引揚げられたのは二〇〇〇年だった。
 その頃その場所であれば、撃墜したのは自分だ、サン=テグジュペリの搭乗機と知っていたら撃たなかったのに、という旧ドイツ軍操縦士の証言も出た。が、引揚げられた機体には弾痕はなかった。事故説・自殺説も消えてはいない。
 これらの経過は、私がサン=テグジュペリへの興味を棚上げしたのちに展開した。その間に新版著作集も刊行されて、文献は目覚しく豊富になった。が、私の興味は蘇らぬまま、読書能力の減退年齢を迎えてしまった。
 サン=テグジュペリ関連を、古書肆に出す。たまたま書架で隣にあった、村松剛『評伝アンドレ・マルロー』、ゴンチャロフオブローモフ』、ショーロホフ『開かれた処女地』も出す。

 

 ダヴィッド社の文芸批評シリーズは、まことに役立った。E.Mフォスターや J.M.マリィがあり、E.ミュアや  P.ラボックがあり、F.モーリヤックまである。とびっきりの豪華メンバーだ。つまりは「新批評」だの「二十世紀批評理論」だのと云い出される前の、文献や経験に即した文学論であり、小説教則本である。
 西欧文学の十八・十九世紀を開拓・創造の時代で、二十世紀はそれらに疑問を突きつけた時代だと、学者は云う。だとするなら私が読んだのは、開拓・創造の時代の末尾にあって、総括し総まとめしてくれた諸論ということになる。おかげで二十世紀に対しては、あんがい早くから客観視できた。次つぎに登場する冒険的な理論のいちいちに、うろたえたりきりきり舞いさせられたりせずに済んだ。二十世紀理論から入門した人は、お気の毒である。さぞやお忙しく、心休まらなかったことだろう。

 では「新批評」の発生とその後の展開はとなると、V.B.リーチ『アメリカ文学批評誌』(彩流社)のお世話になった。門外漢は基本だけわきまえてあれば事足りる。『現代の批評理論』全三巻(研究社出版)には、へえ色いろあるんだなぁと感心はしたものの、心を動かされることはなかった。
 前時代の、つまりダヴィッド社のシリーズで知るにいたった諸論のほうが、実地に即してはるかに面白かった。

 基礎的な躾けも訓練も経ていない私は、必要が生じるたびに総覧的な入門書のお世話になった。『英米文学史講座』(研究社)は私にとっては事典みたいなもので、必要に応じて拾い読みした。乏しい小遣いをやり繰りした学生時分のことだから、ついに全巻を買い揃えるには至らなかった。不揃い本である。古書肆にとっては、まことに商品価値の乏しいものだろう。
 毎度繰返すが、はた迷惑は考えない。基礎を学び直す機会はもう訪れまいと考えて、貴重本だろうが、古紙回収同然だろうが頓着することなく、合切を古書肆に出す。