一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

木枯しの色



 どういう仕組か、合法か違法か、カラクリについては無知なのだが、ユーチューブで古い映画やテレビドラマが眼に着くと、懐かしさに駆られてつい観てしまい、続編まで揚っていると連続して観てしまうことがある。名なり顔なりに憶えのある役者さんたちのじつに多くが、すでに幽明界(さかい)を異にしている事実に気づき、今さらながら感慨に沈むことが多い。
 稀に、ご高齢となられた今もご壮健の役者さんが揃うと、わけもなく喜ばしい想いが湧く。

 茶の間向け時代劇として、股旅物のお約束をを守りながらも、『木枯し紋次郎』が世に問うた新しさは格別だった。中村敦夫というニュースターを世に送り出した。
 十歳のとき上州の農村を飛出し、無宿の身の上となった。郷里を捨てた事情も、その後の成長過程も、いっさい明らかでない。腕は立つ。義理堅く筋目は通す。借りは作らぬように生きている。窮地を救われたり、恩を受け情をかけてくれた人たちを、わずかな情報を頼りに訪ねあてては礼を云い、借りた金を返して歩く。それが彼の旅の目的であり順路である。

 喧嘩の腕が立つとはいっても、筋の通った剣術修業をした形跡はない。左腰に佩くドスは、反りの少ない直刀だ。斬るというよりも突刺す武器である。振りおろし、当て、引くを一連の動作として人を斬る本式剣法を、彼は修得していない。もっぱら身を護る実戦のみを通して体得した喧嘩剣法だ。
 その腕前と、極端に無口だが折目正しい性格とから、時に慕われ頼られることがあっても、情にほだされたり正義感に奮い立ったりはけっしてしない。
 「せっかくですが、あっしには関わりのねえこってござんす、ごめんなすって」
 当時、流行語にもなった。


 笹沢佐保による原作小説といい、市川崑によるテレビドラマといい、いかにも一九七〇年代の仕事といえる。それまでしばらく熱く濃厚な時代、やかましく忙しい時代が続いてきたことに、くたびれて、飽きあきしていた国民も多かったのだろう。
 「あっしには関わりのねえこってござんす」
 世捨て人的なニヒリスト。超個人主義的な利己主義者。信頼できるものなどどこにもない時代に、せめて自分の命にだけは誠実たらむとする世間蔑視者。と、まあいろいろに云われはしたが、しがらみをきれいさっぱり切捨てたその生きかたに、一種のすがすがしさすら感じられて、茶の間人気は沸騰したのだったと思う。

 半世紀が経過した。集合住宅の両隣がまったく知らぬ家族だと話題になってからでも、すでにだいぶ経った。交通事故現場に遭遇しようものなら、119 番通報するよりも、被害者を介抱するよりも、まずスマホ撮影という順番が珍しいこととも思われなくなった。
 「すみませんが」「おそれいりますが」「お仕事中お手をとめますが」。スーパーで目当ての商品の棚を教わろうと声を掛けただけなのに、「なにそれ、意味解んないんですけど」という顔をされてしまう。
 今、新作として『木枯し紋次郎』が公開されても、当りまえ過ぎてヒットしないのではあるまいか。

 古い映画やテレビドラマを観ていると、脇役にいたるまでキャラクター表現が噛んで含めるように、じつに丁寧だ。今のスピード感からは、あまりにくどいとすら感じられる。
 観客も視聴者も、作品を観るのは一回きりだったからだ。ましてや結末を先に観てしまってから、山場へと巻戻すなんぞということは、夢にも想像されなかった。
 テレビよ、おまえはただの現在に過ぎない、という萩元晴彦さんの名言も、とある時代の名言として古典芸能化したということだろうか。
 私が身に憶えのある時代とは、風の色が異なってしまった。興味深いし、愉しみでもある。が、この風のもとで自分がなにか役立てるとはとうてい考えられぬし、役立ちたい気持もない。ただ愉しみなだけだ。