一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

いただき納め



 年末恒例の国家的文化行事と云ってしまえばそれまでだが、今年も多くのお心尽しをご恵贈いただいた。ものぐさゆえの欠礼がちとなりやすい持前の性格に加えて、老化によるウッカリが昨今絶えぬ身としては、自分に信がおけずに気が気でない思いだ。どなたに対しての申しわけというわけではないが、投函前の受取り礼状にレンズを向ける気になった。

 郷里の従兄から来簡。先般上京し、早稲田に在学中のお孫さんによるご案内で、大学および周辺を歩かれたそうだ。塀らしい塀もなく、構内と学生相手商店街と民家との境界がはっきりしないことが特色の大学だ。散策でも観光でも、ご自由になさってくださるのが好ましい。

 法学部と政治経済学部内を案内されたそうですね。なるほど、往年のたたずまいが残る古色あふれる建物を選んで、お孫さんは案内なさったと見えます。
 ということは、法学部前に立つ大隈銅像を観上げて立ち停まられたことでしょう。正門方向と南門方向への道が十字路になったその場から北を望めば、並木道の先に演劇博物館が眼に入ったはずですが、歩かれましたでしょうか。エリザベス朝時代の劇場を模した珍しい建築で、入口には坪内逍遥銅像がありますが、ご覧いただけましたか。
 政治経済学部へ入られたということは、その正面の会津八一記念館もご覧いただけましたか。新潟出身の東洋美術史学者で書家でも歌人でもある、あの会津八一ですよ。
 記念グッズや土産品売場を兼ねたカフェで休まれたとのこと。つまり大隈講堂を正面に眺めるようにして正門に立たれたのですね。右手の植込みの中に立つ相馬御風の石碑には、お気がつかれましたか。糸魚川出身の詩人で評論家で「都の西北」作詞者でもある、あの相馬御風ですよ。石碑には「都の西北」が三番まですべて彫ってありましたでしょう。じつにじつに長ったらしい校歌もあったもんですよね。
 グッズ店を兼ねたカフェというのは、大隈会館の門の脇の洒落た店ですね。屋外のテラスかパラソル下で休まれたとすれば、すぐ間近に大隈講堂がそびえ立っていて、石材や煉瓦のひとつひとつまでが見えたことでしょう。私どもには視慣れた風景でも、遠来のお客さまにとっては、ココかぁという感慨を催されたことでしょう。
 駅までの通学路も歩かれたとか。喫茶店や食堂や古本屋の並ぶ、あの道ですね。だいぶ様変り代替りしましたが、私が記憶する店もまだ多少はございます。
 お手紙拝見して、構内といい通学路といい、どこをどう歩かれたか、私にはありありと思い浮べられました。なにせ学生として七年、教員として九年、合せれば短くもない年月を過した街ですから。


 年齢のみならず人柄においても、また半生の来歴においても、従兄弟従姉妹たちのあいだでの惣領とも云える従兄だ。父祖伝来の地にがっしり根を張って過した半生だった。孫に導かれての早稲田散歩は、いかなる気分のものだったろうか。

 その従兄が年越しの食糧をご恵贈くださった。上越市のカマボコ店によるオリジナル商品の詰合せだ。味付け加工された魚肉をカマボコと合わせた商品で、寡聞にして私は、ほかでは視たことがない。押し寿司・棒寿司のシャリがカマボコに換っていると考えれば、思い浮べやすい。広い世間には美味いものを考案する人があるもんだと、感嘆させられる逸品である。
 従兄からこの商品をいただくのは、じつは初めてではない。だから判っている。せっかく年越し食品としてお贈りくださったが、年内にさっさといただいてしまい、年越しまでもつことはない。