一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

冷雨



 冷たい雨だ。ご近所では、辛夷(コブシ)の花が満開だ。

 昨日は大学卒業式の絶頂日だったことだろう。今どき矢絣は流行るまいから、花柄や縞柄の着物に紫袴の女子大生が、さだめし街を闊歩したことだろう。私は一人もお視かけしなかった。鉄道に乗ってみれば、そして池袋まで出てみれば、視かけたのかもしれない。
 近隣に大学はいくつもあるのに、わが町にお住いか、または下宿なさる卒業生女子はいらっしゃらないのだろうか。むろん往来を視張っていたわけではないから、実際にはおいでだったにちがいないけれども。

  
 筋向うの音澤さん邸の新築工事は着実に進み、雨の合間を縫って屋根の形が現れた。
 いく日か前の日記に、床下のコンクリート打ちが済んだ段階で、しばし乾燥日程に入るのではないかと予想を書いたが、まったくの素人迷妄だった。現代工法にあっては工夫が進み、コンクリートの品質性能も改良されていると見え、その後もわずかづつながら工事は滞ることなく進捗してきた。
 素人の当てずっぽうなど、つねに現実より百歩遅れていると、つくづく思う。

 新築現場というと、丈高い鉄骨材がにょきにょき突ったてられて、四角く平らな天井が現れる光景がほとんどとなったご時世だ。節目の見える材木の柱が立って、二階屋に三角の屋根が載ったのを観て、人さまのことながら嬉しく感じた。悪ガキ仲間の時分からご当主を知る身には、よくぞゆかしき所行にいたれりと、肩を叩きたい気分にすらなる。
 天気が好ければ上棟式だ。建前である。破風の中央あたりに縁起の飾り物が結え付けられ、お神酒が供えられる。床一面に筵が敷かれて、さし渡された平材をテーブル代りに宴会となる。棟梁を上座に大工衆がずらりと居並び、椀型の湯飲みで酒を酌み交す。基礎の地固めを請負った鳶職の頭(かしら)が、遅れて到着する。
 「かしら、どうぞこちらへ」「棟梁、本日はおめでとう」
 棟梁と頭とでは、どっちが偉いんだろうと、子ども心にも疑問だった。
 宴も半ばを過ぎたころ、屋根屋の親方が到着する。ついさっきまで仕事していたから、いったん戻って軽くひと風呂浴びてきたのだろう。棟梁の隣席が最初から空いていた。遠慮してだれも棟梁に近づかないのだと思われた。じつは違う。屋根屋の親方は大工衆の背後を回って、当り前のように棟梁の隣に腰を降ろす。
 高い場所での作業だ。身軽で器用が取柄の屋根屋には、小柄な人が多い。

 屋根屋の鉄鎚は、他と替えの利かぬ道具だ。サイコロのように四角い鉄頭がついていて、柄にも微妙な反りがある。口に含んだ細釘を、舌先の技術で一本づつ取出すと、瓦の下敷きとなる剥板(へぎいた)の定めた処に当てたかと思うと、ピシャッと鉄鎚一打で打込む。二度は打たない。
 屋根屋の女房は、翌日の現場模様を聴いて釘の必要本数を準備し、タライに石鹸水を張って、ひと晩浸けておく。仕入れた新品の釘の表面には、油が付いているからだ。早朝一番に、水洗いして油も石鹸もきれいに落すと、木綿手拭いや紙でよく拭いてから、親方愛用の厚手木綿の釘袋に詰める。
 屋根屋の家では、けっして熱い茶は飲まない。親方は大量の釘を口に含んで屋根へ上る。口内の粘膜はのべつ荒れているのだ。
 ふだんの十時・昼・三時に、ぬるい茶が出ようものなら、「けっ、馬のションベンかいっ」と悪態をつく職人衆のだれもが、その朝「今日は屋根屋が上るぞォ」と棟梁からひと声かかった日に限っては、馬のションベンを黙って飲む。
 その親方のために、建前の酒盛りでは、棟梁の隣は空いているのだ。しかしまあ、今のご時世では、そんなこともないのだろう。五十年も前に、当時の年寄りから教えられた噺である。


 ビニール傘を差したまま、満開の辛夷を撮る。郵便局で葉書を十枚買う。葉書や切手はコンビニで買いたくない気分がある。「ジェットナントカですか?」いいえ手書きです、と応えた。
 コンビニでは、電気代とガス代とを払込み、煙草を買った。ビッグエーでは、料理酒一リットルボトルと生姜チューブと粉状の即席ポタージュスープとを買った。川口青果店では、野菜を大量に仕入れた。買物袋が重くなり過ぎそうだったので、これでもカボチャは我慢した。
 冷たい雨の日である。