一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

気分直し



 私にとって目白駅、目白警察署、目白消防署はいずれも、徒歩圏内だった。
 時間と労力とを考えれば、まず池袋へ出て、山手線に乗換えてひと駅。目白駅へと赴くのが普通かもしれない。それでは三角形の二辺の和を移動することとなり、気乗りがしない。不愉快ですらある。近道を徒歩で行くべきだ。長年にわたる生活信条であって、合理的理由は考慮外である。

 桜の老樹をへし折ったのは、いかなる形状のなんトン車であるか、私は車影をこの眼に視てはいない。かつて一度もさような危機も予兆もなかった事態に、どうしてたち至ったのか、解せずにいた。正確な事実はどなたからも聴かされてない。担当部署が異なるらしいいく組もの警察官グループと東電グループと処理工事に向けての視察者とが入乱れるように出入りして、私のほうではどなたになにを伺ったものかすら見当もつかず、当惑するほかなかったのである。
 正確な報告書は目白警察署「交通捜査係」へ挙るから、そちらで教わるようにとだけ、かろうじて指南を得た。
 それよりも、樹木が邪魔だ、電線が危険だ、ブロック塀が危険だ、門柱が危険だと、当面の危険回避の要請ばかりを受けた。事故当事者の影も形も見えぬなかで、警察と東電から指示されるままに、私は対応せざるをえなかった。東電がネットワークする工務店を紹介され、社長と相談づくで昨日までに応急工事を済ませた。
 で、今日はともかくも、目白警察署「交通捜査係」へ赴いて、次第を伺おうと思い立ったのだった。

 目白への道筋を歩く。道中は小学生時分に盛んに遊び歩いた町ばかりである。興味本位に回り道する。神山君一家が住んでたアパートあたりはどうなってるだろうか。安井君のお屋敷は今でもあるのだろうか。あるとすれば次の代のご当主つまり当時のお父上のお孫さんが現ご当主だろうか。
 目白通りの渋滞を避ける便利な裏道と名高い道はさすがに健在だったが、ひとたび折れ、さらに折れて住宅街の裏道へ入ると、そこが元のなんだったのか見当もつかない。
 統廃合で空き建築となっていた旧真和中学は、立教小学校になっていた。鬱蒼とした庭木に囲まれた徳川様のお屋敷は、おおむねそのままだった。あとはどこがどこやら、さっぱり判らない。
 ともかく目白通りへは出た。つけ麺発祥の中華そば屋の前には今日も行列があった。老舗の和菓子司二軒は健在だった。会社員の時分に隠れ家的喫茶店として重宝した伴茶夢は、今も営業していた。線路ぎわのこの路地を曲ると柳家小さん師匠のお宅だったと思い出した。目白駅はずいぶんとお洒落駅になったようだ。



 目白を歩いた人なら一度はシャッターを切ったことがあろう学習院正門前で、初めてシャッターを切ってみた。目白駅と同様、逆光につき色彩が出ない。
 途中の川村女子学園とはご縁がなかったし、目白病院へは入院した友達を見舞うために一度入ったきりだ。目白消防署には小学生新聞の豆記者として、取材に伺ったことがあった。「青空新聞」といったと、ふいに思い出した。新聞名だけで、取材内容についてはいっさい憶えてない。

 さて目白警察署である。運転免許証を所持したこともなく、幸い犯罪事件を起すこともなく済んだ身には、踏み入った記憶のない建物だ。ただしさんざん視慣れた建物ではある。警察署前の停留場を都バスの乗換停留場にしていた時期があった。練馬方向から東進してきた都バスが、眼と鼻の千歳橋から池袋方面行きと新宿方面行きとに分れる。で、池袋から新宿へと都バスで移動する場合には、練馬行きに乗って目白警察署前まで来て、対岸の停留場からスイッチバックするように新宿行きにと乗換えた。
 池袋から新宿への単純移動であれば、直通路線も山手線もあるから、まさかそんな面倒なルートを採るはずもないが、途中の牛込柳町だの、四谷三丁目だの、大木戸界隈だの、鉄道駅から半端な距離にある目的地への移動には、けっこう便利だった。
 さような場所に仕事場だの仕事相手だのがあって、なおかつ荒木町だの大木戸あたりにひねった遊び場をもった時代の記憶である。

 警察署では、親切に対応してはいただけたが、期待したほどの情報は得られなかった。立場上・制度上、開示できぬとする情報がほとんどで、「残念ながらその件については」の連続だった。いかなる経緯で、または原因・理由で事故は起きたか。解せない思いは解消されなかった。疲れがドッと出た。老化と日ごろの運動不足とによる足腰の劣化に、思い及んでなかった。


 帰りは目白駅から山手線に乗ろう、なんならタクシーを拾ったってかまうものかと思っていたのだが、情ないのと腹立たしいのとで、ヤケクソでもっと歩いてやれとの気分になった。目白駅とは反対方向へと歩き出し、千歳橋から下って、明治通り雑司ヶ谷方向へ。ここのところ少々ご無沙汰してしまった古書往来座さんへ、近々お世話になる予定の件で顔出ししておこうと思い立ったのである。
 まだ開店前だった。久かたぶりに近所をぶらぶらしてみた。かつて柳家小三治師匠のお憩み隠れ家だった喫茶店は閉店していた。カフェ造作そっくり居抜きでテナント募集の貼紙がしてあった。
 やがてご店主ご到着。開店段取り風景を明治通り対岸からワンショット。開店準備完了を見計って参上してみると、№2の店長さんもお揃いで、ご挨拶もお願いごとも一挙に済んでしまった。思いもうけぬ珈琲のご馳走に与り、耳寄りな情報までいただいて、いささか気分を軽くすることができた。
 気分を直し過ぎて、お暇ののち池袋駅まで歩く途中で、ついついジュンク堂書店に立寄ってしまい、意中の雑誌のほかに要らぬ買物までしちまった。これさえなければ、そう悪い日でもなかったのに。