久かたぶりで下り電車に乗る。上り電車でちょいと池袋までという超近距離よりも長く移動するのは、じつに久しぶりだ。というのに――。
十三時半ころ、清瀬・秋津間にて人身事故につき、全線運転停止中。十四時半の運転再開を目処に、懸命の事故処理中だという。今、十三時四十分を回ったところだ。各線への振替え輸送サービスが利用でき、また駅外へ出たければ、自動改札機にパネルタッチするだけで、入場記録は消去されるそうだ。繰返しいく度も構内放送された。
上り下り双方のホームから、しだいに人影が消えてゆく。ついにはいかに眺め渡しても、ホームに私独りとなった。一時間近くを、私は待つ気になって、鞄から雑誌を取出した。
各線への振替え輸送と云われても、その池袋までの電車が動かないではないか。たんに池袋まで買物に出るだけであれば、歩けぬ距離ではない。が、今日の目的駅は所沢だ。池袋まで歩いて、山手線で高田馬場まで行き、西武新宿線に乗れということだ。そんなことをしている間に、あんがい早く事故処理が済んで運転再開した、なんぞという目に、半生でいく度も遭ってきている。じたばたしたって始まらないと、肚を括ったわけである。
構内放送に新情報が加わった。当駅を出て、十分ほど歩くと地下鉄有楽町線の駅があるという。地元民だもの、そんなこと承知している。そこまで十分ではとうてい歩けないとも、承知している。十四時半の復旧目処という点には、変りがなかった。
下りホームの先端まで歩いた。ホームの屋根の影が切れて、そこだけ陽当りが好いのだ。せっかくの時間だから、ビタミン D の生成を促さねば。ひょいと跳びおりれば踏切りで、通常の買物道だ。
西から徐行運転の速度で電車がやって来て、対岸の上りホームに停車した。乗客全員が降りていった。車輛はそのままここで休むらしい。動きだす気配の微塵も感じられぬ車輛というものは、じつに長く見えるもんだ。
風は冷たかったが、日光浴しながら雑誌に読み耽った。下り電車が到着したのは十四時五十分に近いころだ。当然ながら、車内はラッシュアワーなみの混雑だった。
所沢駅に下車するのも、久しぶりだ。なん年もかけた工事が完了して、階段も改札口も増え、構内広場の眺望が目覚ましく広がった。休息場所にも待合せ場所にもなる明るい広場の一画にはストリートピアノが置かれてあって、腕自慢たちが順番待ちして弾いている。なかには動画撮影して、ユーチューブに挙げるというような、セミプロ級もおいでなのだろうか。
駅前の街路には、街の特色を表す敷石模様が埋めてある。外来の通行人を歓迎する、これもモニュメントだろうか。空軍、もとい航空関連施設の街である。ひと駅となりの航空公園駅には職場があったから、二十年以上もここが通勤乗換駅だった。むろん素直には乗換えずに街へ繰出した回数は数知れない。ご無沙汰してしまっているが、再会してみたいママさんも、いらっしゃらないわけではない。が、今日はそういう日ではない。
ロータリーをはさんで駅正面の「くすのきホール」で、古書市が開催されている。年に三回の大規模展示だ。古本屋研究会の若者たちに混じって、古書漁りである。思わぬ鉄道事故で遅刻してしまったが、参加させてもらう。
数かずの想い出がある古書市だ。文献蒐集に熱心な詩人の荒川洋治さんとバッタリ顔を合せて、驚き合ったのも懐かしい。西郊にお住いの荒川さんにとってこの催しは、神保町や都心型古書市へ出かけるよりも、遥かにご便利だったのだろう。長らくお会いしてないが、私と同じように古書店を歩く気力体力の衰えを痛感しておられるだろうか。それとも持前のエネルギーに衰えを見せずに、今でも盛んに歩き回っておられるのだろうか。
市を歩けば、眼を惹かれる品にかならず出食わす。が、身辺を少しでも軽くするために、蔵書を次つぎに古書肆に委ねることを生活指針のひとつとしている身だ。だいいち買い込んだとて、読了できる見込みがなかろう。
後ろ髪を引かれる想いのする本はなん冊か眼にしたものの、思い留まった。が、読むまでもなく、眺めて愉しむだけなら、今の私にもできる。南伸坊さんによる漫画絵本と面白奥深エッセイの二冊だけ買った。
