一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ただいま逃避中



 あいも変らぬ保存惣菜を補充した。デスク周りには鬱陶しい案件が山積しているために、台所へ逃避した格好だ。

 熱を通す惣菜の場合は、途中随所で「冷ます」だの「蒸らす」だのといった工程が欠かせぬから、二品三品同時に作るとなれば、どうしたって夜鍋作業だ。「ラジオ深夜便」を BGM 代りにうたた寝することになる。タイマー電子音をいく度も聴くこととなる。
 火を止めて、全体かつ最終の冷ましに入ったときには、ついタイマーをかけずに長めのうたた寝をしてしまった。眼醒めたら外が明るくなっていた。「ラジオ深夜便」は了って「マイあさ!」に変っていた。惣菜たちは好い按配に、器に移せるほど冷めていたが、流しは洗剤用と水用とにふた山分けした洗いもので一杯だ。まずは腕まくりである。

 空模様に恵まれた日曜日となれば、絶好の外出日和だ。池袋まで出て済ませてしまいたい用件がある。それに若者諸君との古本屋巡りに向けて、下見に歩いてみたいコースもある。だがいかんせん、圧倒的な寝不足だ。体力気力ともに万全とはほど遠い。途中で気分でも悪くなっては不愉快だし、人さまにもご迷惑をおかけする。ここは自重か。
 ならば溜っている洗濯物を一気に片づけるべく、コインランドリーへでも出向こうか。いやいや、二十四時間営業のセルフサービス店に、選りにも選ってこんな陽気のこんな時間に赴くのは愚の骨頂だ。客のまばらな深夜に行けばよろしいのだ。
 いっそこのままひと眠りして、すべては眠り足りた後のこととしようか。いやいや、眼醒めたときにも好天が続いているとの保証はない。今すぐに、この条件下で片づけられる雑用はないものか。

 
 昨日作業の続きを、一段落まで進めておくことにした。建屋西側の、コインパーキングとの境界塀ぎわだ。フキの群落地帯である。昨日作業と本日作業とが、かつては一回分の作業範囲だった。眼に見えての体力減退である。

 狭い範囲ではあるが、問題の多い箇所だ。排水溝を覆うコンクリート蓋に破損がある。暮しに不便はないものの、いつの日か補修しなければならない。
 ネズミモチの切株もある。二番根と三番根とをなんとか切断したものの、一番の太根は建屋の下へともぐり伸びていて、私の手には負えない。今のところヒコバエを芽吹いてくる気配を見せてはいないが、油断ができない。依然要注視の相手だ。
 母の時代には、ここが空き鉢類の置き場だった。名残の植木鉢が今も多数重ねられ、横たえられてある。割鉢と再利用可能鉢とを仕分けて、それぞれの始末をつけなければならない。
 さらに加えて、西側から塀越しに、ペットボトルだの空缶だのが放りこまれる事例が跡を絶たない。数ある利用者のなかには、心ない人もある。かつてと較べれは、数はずいぶん減った。ひところはボトルや缶のみならず、弁当の殻が割箸やお手拭きまでそっくりレジ袋に詰められて、放りこまれた例もあった。本日もミネラルウォーターのペットボトル(フタつき)と珈琲空缶と単三乾電池、各一個をゲット!


 昨日の山と今朝の山と、草山がふたつ。この場で枯れさせるか、他の枯草山と合体させるか、後のちの埋め戻し計画との兼合いで、思案のしどころだ。作業が一時間となったので、ひとまず切上げた。すぐに決めなくてもよいことだ。

 うがい手洗い、除菌消毒。さて今度こそ、少し眠らねばならぬところだろうが、あまりの好天に、迷いが生じ、心乱れる。この気持は、正対すべき問題から顔を背け、逃避していることと、おそらく関係がある。