一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

穴の目方〈口上〉



 つねの日記に挟まりまして、番外のご挨拶を、ひとこと申しあげます。

 ドーナツを数える単位は、なんでごいましょうか? 専門家がたの業界用語は存じませんが、一般庶民の慣習にては一個二個でございましょう。
 ドーナツ一個の重さは、いかに数えたものでございましょうか? 諸成分混合され成型された固形部分で、○○グラムということでございましょう。
 ドーナツの大きさ(寸法)は、いかにお伝えしたものでございましょうか? 丸型でしたら直径○○センチで厚みが△△センチと、お伝えするのでございましょう。算出せよとなれば、体積計算でございますから、底面積×高さでございましょう。数学お得意のおかたは、曲面部分に微分積分を用いてなどとおっしゃるかもしれません。

 ところで、重さと大きさの算定(また把握、また表現)基準が不統一だということを、お気になさるかたは、あまりいらっしゃらぬようでございます。重さにはドーナツ中央の穴が含まれておりませんが、大きさには穴の寸法も含まれております。
 申すまでもなく、穴には容積(空間寸法)のみがあって重量は零グラムだと、検討もされぬままに信じられているからでございましょう。しかし本当でございましょうか?

 衛生観念が極度に発達した現代では、ドーナツが個別包装されてあったりもいたします。片隅に小さく「プラ」と印刷されました透明な特殊紙の袋に一個づつが個別包装され、さらにそれをなん個詰めというように販売されたりもしております。
 価格といたしましては、個別包装の中身が一個いくらでございます。固形部分と穴とを含めての金額でございます。馬鹿を云え、穴はタダだよ、無料で付いてくるんだ、とおっしゃいますか?
 ではいかがでしょうか? お客さま、このドーナツは穴が開いておりませんが、味も重量も同じとなっております。そうご案内しても、買っていただけるものでしょうか? お客さまはのなかには、穴になにがしかの値打を感じて、ドーナツの定価は穴の値段を含んだ金額だと、認識していらっしゃるかたもおいでなのではありますまいか。
 さよう、穴には重さも栄養価もございませぬが、寸法があって、また美意識をくすぐるなにがしかの作用があって、したがって存在理由もあって、それに値打を感じる人もありうるということではござますまいか。定価の一部を穴の代金として支払っておられるお客さまもおいででしょう。

 当「一朴洞日記」は、昨日投稿いたしました「西洋思想? もういいや」をもちまして、開設してよりちょうど一千本目の投稿となりましてございます。このご挨拶が千一本目の投稿でございます。事情により日に二本投稿した日もございましたから、日数といたしましては、連続九百三十六日目となります。
 ここまで続きましたのも、お立寄りくださった読者の皆みなさまによるお励ましのおかげと、改めて深くふかく感謝申しあげたき想いでございます。まことにありがとうございます。

 ときに、とりたてての特色に乏しく、役にも立たず意味もなさぬと自覚しながら、自分はこんな日記でなにを書こうとしてきたのでしょうか。そんなことは死に臨んで思えばよろしいので、書く前に考えるべきことじゃないとは、むろん承知しております。それでもついつい思い浮んできてしまう自問でございます。
 私はドーナツの穴のごとき文章を目指しているのではなかろうか。実用に役立たず社会的な意味もない、したがって大部分のかたにとっては無価値の文章。穴もドーナツのうちとお感じのごく稀な読者さまだけが、ふと気づいてほんのいっとき立停まってくださる、そういう文章を書こうとしてきたのではないか。これからも書いてゆこうとしているのではなかろうか。一千投稿を機に、さよう思い当りました。

 次に口上申しあげますのは来春、投稿日数一千日達成のおりでございましょう。それまで皆さま、どうかご機嫌よう。引きつづきよろしくお願い申しあげます。
 一朴 拝