一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

地中の秘



 一見のおかたには窺えまい。秘は地中に在る。

 門扉から玄関まで、いわば拙宅のメインストリートだ。陽当りも風通しも申しぶんない。ひと眼にもつく。草ぐさにとっての楽園だ。すなわち私にとってはイタチごっこの最前線で、今年三度目の手入れとなる。
 なん年にもわたって、これでもかとばかりに、桜の落葉を大量に埋めてきた一画だ。発酵促進の生ゴミを混ぜたこともある。分解が進めば凝縮して窪地になってしまおうからと、いく年もかけてカラカラに乾燥させた朽ち板で蓋をしたこともある。今掘ってみれば、跡形もない。この一画だけは、ことのほか土の色が好い。瓦礫も出てこない。関東ローム層由来の粘土色は、ほとんど見られなくなっている。
 土はホクホクしていて、ドクダミムラサキゴテンもその他の草ぐさも、根だか地下茎だかを快適そうにはびこらせ放題だ。ところがどっこい当方だって、草むしりが造作ないのである。

 
 むしり跡の北寄りに穴を掘り、枯枝と枯葉を詰めた。この春最初に払ったり詰めたりしたネズミモチの枝葉が、そっくり使えた。なおも余裕あったので、他の枯草類も使えた。枯枝山がひとつ消え、枯草山のひとつが小さくなったから、まずまずの成果だ。
 今回は生ゴミを混ぜない。手持ち在庫がないのだ。いかに冷蔵・冷凍保存するとはいえ、宅内に生ゴミを溜めるのは健康的でない季節がやって来ていると判断し、このひと月は即刻処分に切換えてきた。

 南寄りにも穴を掘れば、枯草山の消費はもっと捗るが、あえて掘らない。このあたりには眼に見えぬ線が引かれてあって、南側はいつの日か東京都に召上げられることになっている。シャベルローダーといったろうか、巨大なスコップを像の鼻のように振回す重機がやって来て、建屋を破壊し、見えない線の南側を掘返してゆくこととなるのだろう。
 もはやご存じないかたも増えてしまったが、わが町のメインストリートであるサンロードは、かつて谷端川だった。台風の襲来によって、数年に一度は水上りした。今も地中に巨大なコンクリート管が通っていて、暗渠となっている。東京オリンピック(申すまでもなく先の)目指しての、なん年にもわたる大工事だった。私が自転車を漕いで、池袋の立教大学グラウンドに長嶋選手や杉浦投手の練習を観に行ったころだ。
 拙宅あたりは河川敷の傾斜地だった。平地のように盛土して、宅地造成されたのだ。ところがどこから運んで来たものか、その盛土の質がじつに悪かった。かつては許された焚火のための穴を掘るとか、干し物用に丸太柱を立てるとか、拙宅敷地内に穴を掘るということは、すなわち瓦礫との格闘だった。
 ほんのわずかながらも、土がホクホクとして草むしりに造作ない一画があちらこちらにあるのは、両親および私がこの地に六十五年あまり暮したからである。加えて、この間の地中の自然回復に絶えざる微力を発揮し続けてきた、地中生物、微生物、植物たちによる援助による。

 
 腐るものなら腐れ、朽ちるものなら朽ちよと、地表に放り出しておいた枯板が、草むしりによって姿を現した。立ててみたら、裏で眠っていたらしい二匹のナメクジを慌てさせてしまった。穴掘り、穴詰め、穴塞ぎを了えてみたら、一匹になっていた。大きいほうの奴は、どこへ姿を隠したものだろうか。
 土や苔に覆われて、半地下のように埋れていた発泡スチロール箱を掘りあげて、内に溜った土を今日の穴塞ぎに使った。箱は干して、こびり着いた土を軽いホコリ状にしてから、洗い流してゴミにするつもりだ。