一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

むしり初め



 草たちがいっせいに芽吹いてきた。日に日に背丈を伸ばして存在を主張してくる。

 この段階で草むしりに入るのは、いかにも大袈裟だろうと、かつては考えていた。もう少し伸長してからでないと、むしり甲斐がないなんぞと、暢気に構えていた。とんだ心得違いだった。先手必勝。この時期に幼芽を一度退治しておくことで、繁茂期の強敵たちがかなり組しやすくなる。ここ数年での教訓だ。
 躰馴らしに適当な場所はと物色して、空鉢置き前のひと坪から手を着けることにした。気力体力、判断力忍耐力いずれも、昨年の今日よりは確実に減退しているはずだ。短時間の軽労働とはいえ、今の自分がいかほどの作業に耐えうるものなのか、また健康上の負荷としてどの程度の作業量が適切なのか、じわりじわりと確かめてゆかねばならない。口開けから重労働に張切って、継続の気力を失ってしまうことになっては大ごとだ。


 まず粗っぽく草をむしる。このあたりには厄介な連中はいない。せいぜいタンポポなどキク科連中の根を丁寧に抜いてやるていどが留意点で、ものの五分もあれば片づく。
 穴を掘る。これまでにいく度も掘っては埋めたあたりだから、土は良質で、スコップはサクリサクリと入る。それでもまだ、かつてほどでないにせよ、いくらか瓦礫は出てくるから取除く。
 門扉外の駐輪場所の隅に枯落葉が吹き溜っているから、ざっと掃き集めて、異物を取除く。駄菓子や煙草の包装の一部らしいフィルムや銀紙の切れっぱしだ。プラゴミ行きである。質の良い枯葉だけを塵取りで運び、穴の底に敷く。手で好く揉んでやり枯葉類を細かく砕いてやれば、半量以下となる。空間を埋めるわけではないのだ。
 冷蔵庫へとって返し、三つ溜っていた良質生ゴミのビニール袋のうちでもっとも古いものを取出してきて、枯葉の上に空ける。じゃが芋や人参の剥き皮がほとんどだ。去年はこれにカボチャの種子とワタが混じっていて、やがて発芽してきて驚かされた。カボチャの種子とワタを地中に還してなん年にもなるが、初めての経験だった。今回カボチャは含まれてない。
 スコップでうっすらと土を掛ける。地中微生物を補充してやる気分だ。如雨露に一杯の水を掛ける。枯葉類の気相部分を追出してやり、液相部分に換えてやることで、後の乾燥を和らげてやる気分だ。埋め跡はどうしても、後のち地表面の乾燥がひどくなりがちだ。


 さて穴の深さは、まだ半分にもなってない。昨秋の草むしりで積上げておいた草山が完全乾燥の枯草山となっているから、下の方からひと抱え運んでくる。小枝や蔓は細かく千切り、葉は揉み砕きながら、ギュウギュウに詰めてやる。
 少量づつ土をかける。スコップの先端でまめに突っついてやる。枯草の隙間に土が(つまり微生物が)入って、早く馴染んでくれるのが望ましい。掘った土をすべてかけ了えたときには、マウンド状に盛上っている。瓦礫や根っこをかなり掘り出したとはいえ、換りの埋め戻しがそれ以上に入ったことを示している。が、これくらいでちょうどいい。この時点で平らなようでは、埋めたものが土に還るにしたがって、窪地になってしまうのだ。
 如雨露に一杯、もう一度水をかける。マウンドの上にブロックを置く。ブロックの重みが常時マウンドを抑えてくれるということもあるが、買物の往き帰りなど思いついたときに、私がブロックの上に跳び乗ってやればいいのだ。

 本年最初の草むしりは、身繕いから手洗いまで含めても、一時間にて終了した。