変り映えしないことが、それだけでめでたいという年齢はなん歳からだろうか。年齢には関係なく、暮しぶりにより心境により、ひとそれぞれなのだろうか。
いよいよ後期高齢者だが、日々の暮しに変り映えがないことを、情なく恥かしく思う気持が、いまだにある。そのくせ、同じようなことをグタグタ繰返す日記を書き続けて、平気でいる。たった今現在の自分は、厳密に申せば昨日の自分とは別の生物だとの考えが、どこかにあるからだ。色即是空である。
超高機能の顕微鏡で神経細胞の先端を覗くと、驚嘆のほかない猛烈な速度で運動しているそうだ。今朝起床した自分が、昨夜就寝前の自分と同じ生物であるとの確信が揺らぐそうだ。昨日と今日とに持続しているのは、意識のみであって、肉体および生命メカニズムにおいては、持続一貫しているとの根拠は薄れる。現に筋肉細胞は数箇月のうちに何十パーセントか入替る。生成と消滅の絶えざる繰返しである。約七年間で脳細胞をも含めた全身の細胞が入替るという。
養老孟司先生のお噺を耳にして、ますます色即是空の想いを新たにしたものだ。
敷地内の通路の草むしりのもようや、台所で粥を炊いて食った日記を繰返しながらも、昨日と異なる今日の発見は、もしくは記憶の新たな蘇りはないかと、視逃さぬように気をつけてはいる。
ところが一年前と変らぬ便りに接して喜ばしい場合もある。便りのないのは好い便りとばかりに、日ごろ無沙汰にうち過ぎている知人や親戚からの、時候の挨拶に接した場合だ。
従兄からは村上の鮭の加工食品を頂戴した。私にとっては、年に一度のゼイタクである。お仔たちやお孫さんにも恵まれた、眩しいような安定のご家庭だ。むろん我がまま勝手で押しとおした私ごときには想像もつかぬ、辛抱と努力の生涯だったにちがいない。
元日の激震いらい、今年は雨にも祟られた年だ。伝統の「えんま市」は疫病禍を経て昨年復活したとはいえ、賑わいも露天商の数も往年の半分以下だったという。ついに今年、かつての「えんま市」が完全復活したという。お孫さんに囲まれて夜店を冷かして歩く好々爺の気持はいかばかりだったろうか。
鮭への添え状には、地元以外に八王子にもある両親の墓へ久しぶりに詣ったところ、途中の風景も霊園周辺もあまりに変っていて一驚したとあった。そのことだけが、書いてあった。これぞ「近況」というものである。
調布の従妹からは、豪華なカレーとビーフチューの詰合せを頂戴した。これまた私にとってはとほうもないゼイタク品だ。
当方は季節を選ばす、カレーを食う男である。具の基本はじゃが芋と人参のみ。ゴロンゴロンするほど大きめにカットする。玉ねぎだけは常識の倍量ほども刻んで、中華鍋で芋や人参より念入りに油どおししてから煮込むから、すべて煮とろける。肉類は使わない。食感を維持するためなら、竹輪を刻んで放り込む。中鍋で煮込めば、角型のタッパウェアにふたつ半もできる。それを四日も五日もかけて食っている。
それに引きかえ、中村屋謹製によるひと袋一食。なんたる豪勢。
昭和三十年ころだったろうか。新婚の叔父と義叔母とが、歯科医院を開業した。あたりは寺街で、雑木林に囲まれた古民家風の家が並ぶ街だった。長女である従妹が夫君と二人で、後を継いだ。次女は遠方へ嫁いだ。
郷里の従兄一家と同じく、こちらも眩しいほどに申しぶんなきご家庭で、そのご苦労の内実については、私のような者に窺えるはずもない。数年前に久方ぶりにお訪ねしたときには、最寄り駅から医院まで自力では辿り着けなかった。駅舎にも周辺風景にも、記憶に合致するものがなにひとつなかったのである。
「フーテンの寅さん」ではないが、どちらのご家系にもきっと一人はいる「わけの解らない親戚の小父さん」が、どうやら私だった。
とりとめもなき繰返し日記を、父の享年九十四歳まで書けば、せめて母享年の八十歳まで書けば、月並な繰返しがめでたい境地にまで辿り着けるのだろうか。
いや、怪しい。年数ではない。芸が足りぬと、つくづく思う。