お若い友人からお土産に頂戴した、高級フルーツが収められていた紙袋である。
午前三時ころだったか、就寝前に熱い茶でもと台所へ。ラジオのスイッチを入れたら、アレッ、「ラジオ深夜便」が放送されていない。予定プログラムはすべて日延べで、五時まで災害関連の注意喚起と最新情報だけを放送するとのことだ。
高気圧に沿って温かく湿った空気が流れこみ、大気がことのほか不安定という。線状降水帯が西方に居座って、この一日のあいだ動かなかったという。鹿児島奄美と北沖縄とに、観測史上最悪の集中豪雨だという。
なにせ奄美には、例年十一月の月間分の三倍もの雨が、一日で降ったという。この地方の年間雨量の三分の一が、一日で降ったという。
けっして表へ出るな。増水河川を確かめようなどという気を起してはならぬ。坂道は急流水路と化して足を取られる。車は水に襲われて突如として止るから、かえって危険だ。避難所への移動は、すこし様子を観てからにせよ。崖崩れの恐れがあるから、家の山側へは寄るな。水が襲ってくるから、頑丈な家であれば二階に移れ。外は暗いからまだ報告されてはいないが、すでにそうとうな被害が出ているのかもしれない。そして昨夜来ほどではないにせよ、前例のない豪雨はもう一日続くもようだ。ラジオは繰返す。
数時間後に明けてくるはずの関東の空は、西高東低の気圧配置が緩んで、冷えこみはするが晴れるという。湯を沸して、ティーバッグを放りこんだ。もしも明日世界が滅びるとしても、この一杯の紅茶が……だれぞの言葉があったっけ。
生きた心地もせぬ想いをされているかたがたがあるとのニュースを聴きながら、私はいただき物の柿の皮を剥き始めた。
ガス台下の収納の扉は老朽化のゆがみから完璧には閉じず、つねに一センチほど隙間が空いている。それが三センチほどに広がっていた。もしやと思って扉を開けると、粘着兵器にネズミがかかっていた。胸から下あたりが粘着版に取られ、上半身を起してみたり曲げてみたりして、もがいている。
ついにやった! 今季初の親ネズミである。
春と夏との闘争シーズンに、十数匹もをこの装置で駆除した。不用意にはしゃぎ回る仔ネズミばかりだった。これで静かになってくれればいいがと期待したが、たしかに静かにはなったものの、紙箱をかじられたりビニール袋に穴を空けられたりの被害は残った。どうやら気配を隠して足音すらたてぬ、知恵のある親ネズミが残っているようだった。被害状況から敵の探索順路を推測して、粘着兵器の設置場所をいろいろ工夫してみたのだが、そのたびに裏を掻かれてきた。
食材はボール箱に収められない。すべて冷蔵庫か樹脂箱に収める。チルド食品の樹脂袋ですら食いちぎられる。もっとも被害に遭いやすいのは生ゴミを含む燃焼ゴミ袋だ。玉ねぎの頭や尻の切り落しだの、玉子の殻だの、ここ数日は柿の剥き皮だの、ネズミの嗅覚にとっては大好物にちがいない。そこでガス台下の収納スペースがゴミ袋の置場となった。老朽化のゆがみによる隙間の前には、来るなら来いっとばかりに、粘着兵器をかならず設置してから炊事を了えた。
ところがである。翌朝、隙間は広がっていた。まさか跳び越えるわけにもゆかぬ角度であるにもかかわらず、どこをどう廻りこむものかよじ登るものか、侵入されてゴミ袋に穴を空けられた。四日前と昨日とである。
一計を案じた。一難去ってまた一難作戦だ。つねのごとく扉の前に罠を仕掛け、こんなのチョロいと避けて侵入したところに、つまりゴミ袋の直前にもう一基の罠を仕掛けた。今回これが当った。
不可解な点がある。敵は外を向いて貼付けになっている。内から出ようとでもしたように。だがよく現場検証すれば想像がつく。兵器の内側半分(前方)には触れた形跡皆無だ。やはり外から入っている。片足が粘着面に触れ、シマッタと咄嗟に感じて敵は身を翻そうとしたのだ。飛び跳ねようとして、足を突っぱった。で余計に粘着した。現在横たわる位置よりも右側に侵入したらしく、粘着液が抉れた跡がある。そして毛並みが触れた黒ずみが残っている。
仔ネズミとちがって、重心を懸けていない前足が粘着面を踏んだくらいでは、超高速で足を引き、逃げてしまう。いくどもその瀬戸際で逃げられてきた。が、今回は粘着面に重心を懸けさせることに成功したのである。
これで静かになってくれればよろしいが。最後の敵であってくれればよろしいが。兵器を二つ折りにして、水桶にジャポンと浸けながら、心から願った。
西の島には、暴虐たる天変地異の怖ろしさに一睡もできぬかたがたがある。世界のどこかには、今日も空襲か空中兵器の飛来があるかと生きた心地もせぬかたがたがある。また世界中いたるところに、明日とは云わず今夜の空腹をいかに凌ぐべきかと打ちひしがれる何億もの人びとがある。昭和二十年代の拙宅家族のようなひもじさを、いく年も続けている人びとだ。
私はといえば、ネズミとの戦の一時的成果に気を好くしている。頂戴したお土産の袋のイラストがいかにも可愛いと、カメラに収めたりしている。