一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ゆやゆよん


            中原中也(1907-1937)

   幾時代かがありまして
     茶色い戦争ありました

   幾時代かがありまして
     冬は疾風吹きました
    ・・・・・・
   サーカス小屋は高い梁
     そこに一つのブランコだ
   見えるともないブランコだ
    ・・・・・・・
   ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん(「サーカス」)

 およそ百年経った今も、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と聴けば、バネで弾かれたように、「中原中也!」と叫ばざるをえない。
 凄まじい擬音語の発明だ。こんな擬音語を、生涯にひとつでもいいから自分も発明してみたいと、いく千いく万の詩人の卵たちが念じたことだろうか。憧れたことだろうか。成功した例を、寡聞にして私は知らない。文字どおり死屍累々の、惨憺たるありさまにちがいない。

 ブランコは春の季語だ。力いっぱい漕いで天を仰ぐ前向きの元気が、春にふさわしいと想われたのだったろう。だが綱(もしくは鎖)にきつく止められた遊具をもって、天に近づけるはずもない。明るい元気の向うに、かすかな哀しみや可笑しみが透ける。

   鞦韆(しゅうせん=ブランコ)や燈台守の垣のうち  素十

 歳時記を覗くと、ブランコの項には面白い句が並ぶが、茨城は取手出身のドクター俳人高野素十の句が好きだ。木下恵介監督の映画『喜びも悲しみも幾歳月』とも連想がつながる。
 灯台守には転勤が絶えない。子は転校を重ね、友達ができにくい。しかも職住接近の官舎はつねに強風吹きさらす岬の突端にあったりして、町からも学校からも遠い。せめてもとばかりに遊具がポツンと、垣根の内にしつらえられてある。乗り手もないのに今、ブランコが強風に揺れている。

 中也のブランコは遊具ではない。五色に染め分けられたテントが高だかと張られたサーカス小屋の空中で、照明を浴びてゆっさりと揺れる。音楽に乗ったもの哀しさは、いっそう深い。今宵は観客たちも、目いっぱいハラハラドキドキする。サーカス団員たちは、明日は次の地へと旅立ってゆく。
 福島泰樹先輩は今月も、中央線沿線での定例コンサートで、中原中也を絶叫なさるだろうか。先輩は、ご自分の「ゆやゆよん」の発明をより確かなものになさろうと、今なお果敢に吠えておられる。頭が下がる。

 
 春立つ日、これということをしなかった。なにも片づけなかった。
 ただ昆布飯を炊いた。混ぜてふかした。そして冷凍用小分けおにぎりに結んだ。
 寒い立春だった。