一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

過ぎる

 「ラジオ深夜便」の上方演芸の枠で、露の瑞(みずほ)さんの噺を聴かせてもらった。女性の噺家さんだが、なるほど上方落語らしくこってりした感じがあった。
 噺の前後に、女性の落語作家さんによるご紹介があって、基礎知識皆無の私には、おかげさまで耳寄りな情報だった。

 瑞さんは漫才をやってみたい少女だったのが、京都女子大学に漫才サークルがないので落語研究会に入部。落語の魅力に目覚めたそうだ。卒業後の寄席通いのなかで、後の師匠の高座に出逢い、これが「面白過ぎた」ので、門を叩いたとのことだった。

 はて、面白い師匠に入門するなら解るけれど。面白過ぎる師匠なんぞに自分の後半生を託せるものだろうか。
 彼女は色白だ、と云えば、ほぼ美人だと云うに近かろう。色の白いは七難隠すである。だが彼女は白過ぎると云えば、不健康そうだとか、厚塗りだとか、ひいては薄気味悪いという意味ではないのだろうか。「うゎお、このシュークリーム、めっちゃ甘い」と云えば、こってりと甘いのだろうけれど、「甘過ぎるぅ」となれば、しつこくて口に合わぬという意味ではないのだろうか。

 周囲の学生諸君からも、過ぎる過ぎると、ずいぶん聴かされてきた。あまりの頻度に、最近では疑義を呈することもしなくなった。これが令和の日本語というものなのだろう。
 ただ今回は、作家先生だとおっしゃるので、ふと耳に刺さったまでである。

 私の日本語は古い。コンビニのレジで、タバコふた箱と駄菓子を買って一二八四円。うっかり小銭入れを持ち忘れたので、「ふた千円からでいいですか」と差出した。はぁ? と不思議がられてしまったことがある。「官製はがきを十枚」と注文したときにも、はぁ? に接した。いずれの場合も、こちらが悪いと気がつき、すぐに云い換えたけれども。
 こう見えてもその昔、言葉について真剣に考え、ある程度練習を積んだことだってある。老化惚けでだいぶ色褪せたけれども、身に叩き込んだ日本語がないではない。けれどそれは古い。では順次新式に馴染んで、改めてゆくべきか。そういうかたもおありだろうが、私はご免だ。昭和の日本語で、結構である。

 慈円大僧正が『愚管抄』に書いている。最近巷には、法然なんぞという、わけの判らん言葉を使う奴が現れて、辻褄の合わぬ教義を説いている、やれやれ、と。