一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

暑い、熱い、

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 広島駅を降りたら、広電がちょうどいゝ距離だけれども、あえてタクシーを拾う。街の空気を少しでも察知したい。
 「ドライバーさん、今年もカープ、いゝようじゃないですか」
 当然だと云わんばかりの応えが返ってきて、何かしら話してくださる。でもこれは、七月いっぱいまで。八月に入っていたら、違う。
 「ドライバーさん、今年の甲子園、どうなんでしょうか」
 「今年は広商ですけのう。いけますわ」
 そりゃ広陵高校だって尾道商業だって応援はするけれども、広島商業が出場する年の広島市民の気合いは格別である。よそ者は、承知しておかねばならない。

 あっという間に紙屋町交差点。東京なら銀座四丁目だ。角にそごう百貨店。屋上から長い垂れ幕。「祝・広島商業高校、甲子園出場!」
 百貨店階下は巨大なバスターミナルで、ここから四方八方へ行ける、文字どおりの中心起点だ。階上に紀伊國屋書店広島店さまがあり、まずご挨拶。零細出版社など相手にされないから、ごく形式的。
 少し歩いて積善館書店さまへ。店長いつも好くしてくださる。こちらはルートで出張しているから、この数日間に岡山・福山で耳にしたちょっとした情報なども、お耳に入れる。

 大通りを渡った向うのアーケードへ入る。金座街・流川・薬研堀つまり中心繁華街を貫く長いアーケードだ。廣文館書店さま、金正堂書店さま、丸善広島店さま、フタバ図書さま。有力各店さまにご挨拶して回る。ベストセラーなど出せず、心ある少数読者に気づいてもらいたいだけの本など、見向きもされずに玄関払いや軽いあしらいが普通。ふ~ん、それってどうなのと、突っこんでくださるかたが、時どき。

 商店街では、立看形式や額縁形式の小さい掲示板が、いくつも眼につく。新聞の切抜きが貼り出されているようだ。
 ――昨日の古葉采配ズバリ的中。さすが日本一の監督だ。 テーラー岡本。
 ――見たか阪神、これが衣笠だ。あとは浩二の復調で鬼に金棒! 理髪の岸谷。 
 ――巨人に負けた日は、他のチームより二倍も悔しい。 寺田履物店。
 地元有力紙『中國新聞』に角雑報広告を出し、その切抜きを店前に掲示して、道行く人びとに披露しているのだ。
 凄い街に、俺は来てしまった。むろんカープ情報を呑込んだうえで営業に来ている。が、付け焼刃が通用する世界ではない。夜、ある店長さんのご好意で、カープファン御用達の酒場に案内していただいた。これがまた……。
 もちろん私も、赤い陣羽織を羽織って、赤ヘルを被ったのである。

 カープの広島、八月に入るや甲子園の広島。だが昨日までが嘘のように、二日間ほどは鎮魂と祈りの広島となる。そして精進落しででもあるかのように、ふたたび……。
 今ではジュンク堂書店さまやヴィレッジヴァンガードさまも出店され、地元書店がたもリニューアルされたり移転されたりで、広島書店地図もまったく変化していることだろう。今突然行ったら、私は浦島太郎状態にちがいない。
 暑い、熱い、懐かしき広島である。