一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

代表

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深沢七郎『庶民列伝』(新潮社)から、無断で切取りました。


 信州の総合病院で、内科勤務医だった南木佳士さんは、他科病棟に深沢七郎が入院してきたと知って、しばし迷ったのち勇を鼓して病室を訪ねた。
 「ご気分のよろしいとき、お話を伺いに上ってはいけませんでしょうか?」
 「なんのなんの、入院ったって検査中心。退屈しきってますよ。いつでもおいでなさい」
 もっと怖い人かと想像していた南木さんは、拍子抜けした。

 当時南木さんは、文學界新人賞を受賞後、もう一段上を目指す新進小説家だった。といっても、新人賞を機にバリバリ活躍するというような性格でも作風でもなかった。二年か三年に一篇、よく考えられ、丁寧に仕上げられた作品をポツリポツリと発表する作家で、発表舞台も『文學界』一誌のみだった。原稿生産量からして、二誌目は必要なかったのである。
 発表作品はほとんど、芥川賞候補にノミネートされた。が受賞はしていなかった。

 「あなたはね、おっつけ受賞することでしょう。でもね、芥川賞を取ったくらいで、筆一本なんて、軽はずみな決心をしてはいけませんよ。せっかくお医者さんなんだから、辞めてはいけません。
 作家代表の作家なんか、いないんです。私は日本の百姓代表の作家です。あなたは日本のお医者様を代表して小説を書けばいゝんです」
 農場経営者だったり、ギター奏者だったり、今川焼屋の店主だったりした、深沢七郎の言葉である。

 五度目のノミネート作『ダイヤモンドダスト』で、南木さんは芥川賞を受賞した。新人賞から十年が経っていた。
 受賞を報せてくれた電話が、ちょっとお待ちください、替りますから、となって、新人賞からずっと担当してきた編集者が出て、
 「南木さん、十年経ちましたね」
 二人にしか解らない無言の通話が、電話線を往来したのだったろう。
 むろん南木さんは、芥川賞作家となられても、病院を退職したりはしなかった。

 深沢七郎の仕事は確かに、日本のお百姓さんを代表している。南木佳士の仕事は確かに、日本のお医者さんを代表している。その見事さに、ため息が出る。
 これをもって、志が小さい、あまりに狭く限定的だなどとすることができようか。
 全納税者を代表して国に物申す。全女性を代表して男社会に物申す。全日本人を代表して外国を語る。全マイノリティーを代表して差別を糾弾する。お説はごもっともなれど、どれもこれも、てんで代表できてなんかいないじゃないか。勝手に大声を挙げているだけじゃないか。

 だったら、お前はよ。痛い。収入無し、家族無し、社会人のみぎり賞罰・特技・達成・手柄どれひとつ無し。で、なにかを代表するなど、無理な相談だ。
 よォし、プロフィールにも謳ってあることだし、半ボケ老人。全日本の半ボケ老人を代表して、ブログを書くとしようか。全ボケになるまでの、しばらくのあいだ。なァに、そう長いこっちゃない。