一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

不良呼ばわり

石原慎太郎(1932 - 2022)

 正宗白鳥が「懐疑と信仰」を雑誌連載し、堀田善衞がアジア作家会議に出かけていたころ、世はまさに太陽族ブームの真盛りだった。

 前年に第一回「文學界新人賞」を受賞し、スルスルッと駆けあがって芥川賞を受賞した一橋大学学生石原慎太郎は、文学読者以外の若者たちのあいだにまで熱狂的な流行を巻起した。石原さんの髪型は「慎太郎刈り」と称ばれ、真似た青年が街なかを闊歩した。つまりはスポーツ刈りだが、前髪をやゝ長くして数本を額に垂らしたといった髪型である。
 受賞作『太陽の季節』から、これら青少年は「太陽族」と命名された。作品の主張である「好きなように生きるんだ」は、今で云えばトレンド入りし続けたわけだ。既成道徳に縛られずに、無軌道に生きてみたい若者の欲求を大胆に肯定する象徴的指標となった。石原さんご自身その役割を重々承知し、『価値紊乱者の光栄』なんぞというエッセイを書かれて、新時代のファッションリーダーのごとくに振舞って見せた。
 石原さんご自身の価値観・美意識は、かならずしも主人公津川竜哉そのまゝではなかったようだ。のちに銀幕の大スターとなる弟裕次郎さんを取巻く友人たちのなかに、モデルだかヒントだかがあったという。

 白鳥はたゞちにこの作品の底を視抜いていたようだ。『懐疑と信仰』所収の「文学と道徳」では、この青年作家は古臭いと、一刀のもとに斬捨てている。それどころか、これを持てはやす選考委員らの頭の古さが興味深いと、辛辣に嗤ってさえいる。

河竹黙阿彌(1816 - 93)

 そこへゆくと、河竹黙阿彌は幕末から明治への橋掛りに生きた人だが、代表作のひとつ『三人吉三廓初買』では、江戸の意地と張りを見せようぞと啖呵を切って、主人公たちはこれでもかとばかりに悪逆非道を重ねる。良識一辺倒の観客には眼を覆わずにいられぬ惨状が繰広げられるが、悪漢主人公たちには覚悟がある。肚が据わっている。果ては棒杭に括りつけられての火炙りか、獄門晒し首かと、はなから承知の悪行三昧である。
 『太陽の季節』の主人公にその覚悟があるようには、どう読んでも見えない。「責任だモラルだと、俺は知っちゃいない。本当に自分のやりたいことをやるだけで精一杯だ!」と主人公がうそぶくのを読んで、
 ―― きいた風な御託を並べる罰当り、と云った感じがした。
 白鳥はさように一蹴している。

 明治の仕舞いころの噺だろうか。京都大学の教壇で上田敏が、「日本の文学も不良少年の手に堕ちました」との嘆きを漏らしたという。菊池寛の小説のどこかに回想引用されてあるそうだ。
 不良少年の文学とは、申すまでもなく自然主義文学のことだ。できることなら隠しておきたい、人間の恥かしい素顔をも、大胆あけすけに描き出さむと主張する新作家たちを、上田敏はさように慨嘆したのだったろう。
 が今日、島崎藤村田山花袋徳田秋声を不良と断ずるものはあるまい。不良少年のなれの果てとも申すまい。彼らには、不良呼ばわりされてでも達成しなければならぬ志も、それについて回る苦難を甘んじて受ける覚悟もあったのだ。
 べつだん凄味を利かせた啖呵を切るつもりもないが、この学生作家の文章に、さような覚悟は感じられぬと、白鳥は云いたかったのだろう。むろん白鳥自身も、上田敏から不良呼ばわりされた一人である。