一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

レガシィ

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 こぢんまりオリンピックを標榜してたんじゃなかったでしたっけ。瞬く間に予算は怪物的膨張、と話題になったころ、レガシィなる語が……。ありふれた英単語なんでしょうが、私の耳にはとんと馴染みなく、むろんわが半生において用いたことのない語でした。跡地・施設・設備・物品などの後続活用という意味なんでしょうかね。でもねぇ。

 既存設備の最大限活用という説もあった。前回オリンピックを目途に建造された、丹下健三設計で話題となった代々木体育館が、今回ハンドボールの競技会場だったそうだ。戸田ボートレース場なども、活用されたのだろうか。なるほどレガシィだ。ほかにも何か、あったのだろうか。知らない。

 東京五輪音頭は三波春夫の持ち歌であるかのように、その後歌い継がれたが、作曲者の古賀政男は、三橋美智也を念頭に作曲したのだったという。ただし曲の用途に鑑みて、当時は厳格だったレコード会社の壁を例外的にとっ払って、各社制作ご自由としたために、三橋・三波だけでなく、菅原洋一版や坂本九版や、さらに北島三郎畠山みどりデュエット版ほか、いくつもの版が出た。
 長く盆踊り曲などに活用されたりもしたから、これもレガシィだったか。

 モノレール羽田線は、あきらかに東京オリンピックを目途として、建設が急がれ、滑り込みで間に合わされたものだったろう。一本レールを跨ぐ構造上、車輛の床中央に巨大な出っ張りがあり、乗客はそれを左右に避けて移動するというデザインに、度肝を抜かれたものだ。
 東海道新幹線は、オリンピック構想以前からプロジェクトが立ち上っていたものの未完成。進行を前倒ししてオリンピックに間に合わせようと大車輪。なんとか開会直前に開業できた。
 部分的だった首都高速道路の、どことどこを繋げて直行できるようにするというようなことも、開会までにはという目途だった記憶がある。
 選手村跡地が現在の代々木公園に。まあこれもよかろう。いずれも、その後の日本に役立った。レガシィといえるのだろう。

 今回だって、選手村が巨大な集合住宅群としてニュータウンになるとか、ほかにもいろいろあるのだろう。詳しくは知らない。
 だが、なんとなく(根拠もなしに)心配だ。オリンピック実施を担当できる都市であり国であることの気概や歓びが、現代日本の空気に感じ取れなかったからだ。庶民こぞってやる気に奮い立つという気配は、残念ながら感じられなかった。世間に出る機会のほとんどない私の、視過し・視逃し・視落しであってくれゝば、ありがたいが。

 新幹線にその後も事故が少ないという事実や、これはオリンピックより前の竣工だけれども、東京タワーにその後も歪みも傾きも、弛みすらもないという事実は、思えばたいしたことだ。
 オリンピック関連ではないが、奇しくも同じ年の達成としては、富士山頂レーダーの完成・始動もあった。巨大な球形ドームを山頂で組立てることなど不可能だから、麓で組立てて、ヘリコプターに吊下げて山頂へ運び、設置した。強風のなか、不可能に近い精巧さが要求され、想像を絶する難作業だったという。
 その模様はたしか、NHKプロジェクトX」でも紹介され、主要技術者の一人として、後年の小説家新田次郎さんも映っていたと記憶する。

 いくら予算を肥大化させたところで、末端にあって、汚れ作業や危険作業や高所難所作業を担う手職さんたちに気合いが入らなければ、仕事は駄目である。工務店や広告代理店や報道機関がいくら青筋立てたところで、土工・石工・とび職からヘリのパイロットまで、まだまだあるだろう末端の職人さんたちの本気が引出せなければ、笛吹けど踊らずに了るほかあるまい。

 で、今回オリンピックですがね。私は痛くも痒くもないんですよ。もうすぐ、いなくなっちゃうんですから。ただ、お若いかたがたが、いゝお齢になられた頃にですよ。あん時のオリンピック、けっこうハリボテだったね、なんぞとおっしゃらずに済めばよろしいがと、思ってるわけです。