一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

線路

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 雨、小止み。ブランコの少女はいない。

 拙宅裏手が区立の児童公園で、トイレや風呂場から網戸越しに隅ずみが視渡せる。
 いつの頃からか、若い人や子どもの年齢がさっぱり視分けられなくなっているが、おそらくは中学生ひょっとすると小学高学年ほどの少女が、早朝か夕方に、よく一人でブランコを漕いでいる。
 陽差しの好い午前中や昼下りは、幼児連れの母親たちの溜り場で、夜更けてからは大学生年齢のカップルや、大声で携帯電話と話す外国人や、酒気を帯びていそうな中年男などが、すぐ脇のベンチに陣取っているから、彼女は現れない。園内に人っ子ひとりない時間帯を見計らって、現れるらしい。
 夏休みというのに、部活も友達との盛り場も制限され、家族旅行にも行けぬ身で、せめてもの気晴らしか運動不足解消に、やってくるのだろう。

 肩まで伸びる髪が風に乱れ、スカートが大きく翻るのにも頓着なげに、かなり高くまで、勢いよく漕ぐ。十五分、ニ十分と、相当長い。
 服装は日によってまちまちだが、眼鏡と髪型は一緒だから、遠眼にも彼女だと、すぐに判る。いつも右手に、スマホを握っている。彼女にとっては、それがもっとも安全な所持法なのだろう。あたりにハンドバッグも置いてないようだし、肩掛けポーチもない。ポケットに入れたりしようものなら、高く漕いだときに抜け落ちるかもしれない。それよりは、なんのこれしき児童用ブランコの鎖くらい、スマホを握る手に一緒に握り込んで造作もない、というところだろうか。
 携帯電話もスマホも所持したことのない私には、少々驚きだ。

 つい先ごろ、隣りの区の私鉄駅に隣接する踏切で、三十一歳の女性が電車に轢かれて亡くなるという、痛ましい人身事故があった。ながらスマホによる錯覚事故と報じられた。
 警報が鳴り始めたばかりで、まだこちら側の遮断器が降りていない時点に、女性は踏切内に踏み入った。線路を渡り切って対岸へ抜けようかという時点では、遮断器は降りていた。スマホに気を取られて周囲に注意を払っていなかった女性は、眼の前の遮断器から、自分は踏切の手前にいるものと錯覚し、そこに立止っていた。じつは踏切内だった。そこへ電車が走り来て、急ブレーキも間に合わず……との次第と報じられた。
 周囲にいくらも人通りはあったが、だれひとり女性の錯覚に気づくことはなかったという。幾重にも、現代日本らしい事故だ。

 世間とご縁少ない私なんぞでも、池袋駅地下通路などで、ながらスマホ族から怖い目に遭わされたことがあるという問題は、今は措こう。自分の身を自分で護る習慣すら失った、現代日本の平和ボケなんていう問題も、今は措こう。周囲の通行人らの、他人に対するあまりの無関心という問題も、今は措こう。いずれも私ごときが、口にすべき適任者とは思えない。
 それよりも、みずからには過失責任ゼロとはいえ、その電車の運転士さんは、後々まで、どんなに嫌な思いをされたことだろうか。車掌さんも、駅員さんがたも、お気の毒だ。

 昔、札幌出張のさいに、合理的に飛行機で飛べばよかったものを、たまたま前日がオフだったものだから、ついつい酔狂な旅心を起して、上野から寝台車に乗込んだことがあった。福島から奥羽本線回りで、山形・秋田を経由して弘前・青森へ抜けるというルートである。
 他の駅が二分停車なのに、朝七時ちょうどの秋田だけ五分停車。こゝで朝飯を買えと、強制しているようなダイヤだった。
 その秋田にあと十数分で到着するというところで衝撃があって、ふいに列車が停まった。駅ではなさそうだ。再三車内アナウンスがあり、車掌さんも足繁く車輛間を往復して、事情を触れて歩いた。先頭車輛が、踏切内に乗り捨てられた乗用車に衝突したらしい。現場保存とかで、片づくまでは発車できぬという。

 二時間近く、停車していたろうか。初めはざわついていた車内だったが、やがて諦め気分ただよう落着きを取戻した。JR提供の弁当が配られた。急遽のことだから、不満も感じぬどころか感謝したが、今どきこれほど貧弱な駅弁もあるかと、感心するような弁当だった。
 私は最後尾車輛へ移動して、車掌さんに話し掛けた。緊急事態が過ぎて発車指令を待つだけとなった、中年つまり私と同年配の車掌さんも、視た眼はのんびりした表情に戻っていた。
 ――こっちは線路の上しか走れねえんでねぇ。そっちで気を付けてくれんけりゃ、どうしようもねえんですわぁ。

 二十五年以上前のことだが、どういうわけだか、この車掌さんのひと言が、記憶に残っている。
 で、今回の踏切での錯覚事故。亡くなられたご婦人もお気の毒ではあるが、運転士さん、車掌さん、悪夢にうなされたり、健康を害したり、なさってなければよろしいが。