一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

名案

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両口屋是清、不動の三菓仙。左より「旅まくら」「よも山」「志なの路」。

 久方ぶりにパスモを使う。池袋へ。彼岸詣りの準備だ。二十五年来、ナントカのひとつ憶え、両口屋是清である。
 かつて盆暮れも春秋彼岸も、菓子をお供えしていた時期があった。仏様には和菓子という、先入観に捉われていたのだ。ある時、栃木市のお寺の娘さんという学生があって、正月と夏休みと、春秋彼岸過ぎには、必死で甘いものを爆食いするので太ってしまう、と教えられて、考えを改めた。

 と、ここまで書いて、はてなと気か差した。前に書いた憶えがある。余所へ出した原稿であれば差支えもあるまいが、このブログだったのでは?
 過去日記を遡ってみると、果せるかな、六月十一日の日記「旧盆」に一部始終が書いてあった。まったく、老耄ボケである。

 数日前、ジャズヴォーカリストにして作曲家、音楽大学の教員にして芸術学博士でもある丸山繁雄さんから、電話があった。学生時分からの仲間で、飲み友達・喧嘩友達である。互いの健康状態の事情もあって、近年会う機会は減ったが、かつてはなんのかのと云っては、つるんで暴れた間柄だ。
 ふいの来電のおもむきは、原稿内容の被り(重複)についてのお訊ねだった。

 彼はこゝしばらく、とある新聞に「名曲の散歩道」なるコラムを連載中。毎回懐かしの流行歌や童謡唱歌の名曲を一曲ずつ採上げては、作者や歌手や時代背景などを読物風に紹介している。
 こゝへ来て困ったことが生じた。曲によっては、過去に余所で書いた内容と重複する。当時も今も、あまりに愛着深い曲であるため、その曲に言及する限り、同工異曲の内容たらざるをえないと云う。どうしたものか?
 過去に余所でといっても、三十年近くも前だ。とある通信社のお世話で、彼も私も地方新聞にコラムや埋草記事を書かせてもらっていた。二人とも、仕事にありつけるのであれば、何でも引受けていた頃だ。
 さて、電話口で、咄嗟に思い出していたことがある。

 作曲家の團伊玖磨というかたは、エッセイストとしても一流であられた。たんなるお笑いユーモアではなく、急所をピシリッと批判する辛辣な棘が光っていた。
 ある売れっ子女優さんが、テレビインタビューで「意外と料理もするんですよ」と応えた。すると伊玖磨先生エッセイで、「意外と」というからには、台所に立つことなどない深窓のお嬢様にしか見えないでしょうけどと、ご自分からおっしゃっているわけだが、どうしてどうして……。

 エッセイ集『パイプのけむり』はベストセラーになった。『続パイプのけむり』も売れて、第三弾も出る運びとなった。伊玖磨先生、はたと困ってしまわれた。これ以上気に入った題名を、考えつかない。どうしたものか。思い余られて、北杜夫さんに電話した。
 なにしおう『どくとるマンボウ○○記』シリーズでベストセラーを連発している、エッセイの先輩である。なにか好い知恵はないものか。
 人を食った破天荒なユーモアの点では空前の天才と云っていゝ北杜夫さん。電話口で慌てず騒がず間髪を入れず、
 「なぁんだ團さん、そんなこと簡単ですよ。『続々パイプのけむり』でいゝし、その次は『またパイプのけむり』その次は『またまたパイプのけむり』でいゝじゃありませんか」
 なんと、團伊玖磨という人、そのとおりの順で出してゆかれたのだった。

 徒然草ふうに申せば、なにごとによらず先達というものは、あるものだ。
 ときに、丸山さんからのお訊ねに、いかなる作戦をご提案申しあげたかについては、今のところ内緒だ。北杜夫先生ほどの名案ではないからである。