一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

倉敷


 節約を尽しながらもぜいたくな旅。気ままな遠出なんぞは、これが最後かもしれない。そうだ倉敷へ行ってみようと思い立ち、愉しみに計画したのだった。

 食糧買出し以外には、極力外出しない方針だ。用件ひとつを足すために池袋まで出掛けたりはしない。百貨店でお使いもの調達と、ロフトで文房具と、本屋・古書店での探しもの、三つ以上の用件が溜ったら、一気に片づけるべく鉄道に乗る。旅も同様だ。ありし日のように、ふと思い立ってふらりとなんて、今の私にはぜいたく過ぎる。
 武藤良子さんの全国巡回「百椿図」展が倉敷で開催されている。昨年、東京恵比寿での皮切り展示は拝見した。東北地方や岐阜県を回っているときには、出掛けられなかった。今後、沖縄でも催されるそうだが、とうてい行かれまい。チャンスは倉敷にしかない。

 出張上等の会社員だった時分に、山陽道は得意コースだった。出張以外に独り旅もした。
 倉敷の大原美術館だったら、もう一度確認しておきたい展示物がある。入館してすぐの一階広間の右端、展示番号一番は、エル・グレコの縦長の宗教画だったはずだ。ヴェールを被った細面の受難女性が、大きな眼で祈るように天空を視あげている図である。その広間の中央には、四方から覗けるガラスケースがあって、ロダンの小品彫刻が三点寄せ集めてあるはずだ。ラベルには、明治四十四年に白樺派に贈られてきたもので、これらが日本に入った最初のロダンだと解説されてあったはずだ。あまりに有名な「小品三点」だ。もう一度、観ておきたい。
 民芸館については、駒場日本民藝館でも観られそうなものが多かった記憶だが、渡り廊下のような細長い部屋に、棟方志功の「釈迦十大弟子」の全点揃いが一列に展示されていたはずだ。あれは壮観だった。
 考古館には、ちょいと見落しやすいが、古代ギリシアの土器が並んでいるコーナーがあって、ペルシアの唐草文様とは似て非なるギリシアの連続線文様の見事なのがあったはずだ。それよりなにより、人物描写における黒像式から赤像式への、時をかけての驚異的転換が、隣りあって並べられた土器二点によって、肉眼で一目瞭然に比較できたはずだ。まさしく息を呑むほどで、あんなに明瞭な展示は余所では観られまい。
 観光名所をうろつくことは、昔済ませた。三十年も経つから、かなり変化もしていようが、私にはどうでもよろしい。ただ展示物のいくつかについては、もう一度、観ておきたい。

 朝一番の新幹線に乗れば、岡山で乗換えて、午前中に児島まで行き着けよう。ジーパンから袋小物にいたるまでデニムファンたる私にとって、児島のデニムストリートを歩いて、各店を覗いてみるのが念願だった。いつの日にかと思ってはいたが、今がその機会かもしれない。多少小使いを懐にしてゆき、なにか買物をしたってよい。
 夕方には児島を発って、いったん岡山へと戻り倉敷へ回れば、その日のうちにチェックインできよう。翌日は武藤さんの展示と大原美術館を急ぎ足。倉敷にもう一泊してもいいし、案外早く観了えることができるようなら、岡山まで戻って一泊してもいい。会っておきたい人もあるし、今はどうなったか視てみたい場所もある。で、その日のうちに帰途に就けよう。
 これだけ揃えば、用向きが溜ったといえるだろう。それでも昔を想えば外出のうちにも入らぬ、二泊三日の小旅行だ。

 新幹線はなんとでもなるとして、宿だけはと、パソコンを起した。かつては『全国ビジネスホテル全ガイド』なる一冊があって、目星のホテルに予約電話を掛けたものだった。今もあるのかもしれぬが私は所持していない。
 ホテルの目星をつけ、指定の方式にしたがい必須項目を入力した。予約決定のクリックする前に必ず読めと注意書きがあるから、今は不慣れな老旅行者ゆえ丹念に眼をとおした。そこで、である。
 チェックイン時にフロントに提示すべき書類として、最低三回のワクチン接種証明書とあり、本人確認書類とある。ワクチン接種もしていないし、運転免許証も所持しない。もちろんナニガシ登録カードとやらは所持しているはずもない。暢気な時代とは異なって、健康保険証や受取葉書など顔写真のないものでは代用できぬかもしれない。
 「よくある Q & A 」とのバナーをクリックしても、駐車場やレンタカーの説明があったり、航空券との連結チケットの料金表が出てきたりするばかりで、私が訊ねたい質問例などは出てない。
 かくなる上は、直接電話して問合せるしかあるまい。そこでまた驚いてしまった。上へ下へいかにスクロールしてみても、ホテルの代表番号もフロント番号も、いっさい表示されてない。すべてはウェブ上で手続きせよとのことらしい。
 別のホテルを選んでみても、結果は同様だった。倉敷から岡山へと目星を変えても、きっと結果は同様なのだろう。

 ままよ、予約してしまえっ。チェックイン時にフロントで押問答すればよろしいと、一度は考えた。見すぼらしい老人が「弱ったなァ、夜どおし歩き回るのもくびれるし、昔と違って駅の待合室も閉出されるだろうから……」とごねれば、途は開けよう。だが面倒なクレーマー扱いされて、さような眼で視られたあげくに「少々お待ちください、上の者を呼びますから、ハイ次のかたどうぞ」となって、周りからジロジロ視られるのも気が進まない。
 いっそ児島も大原も諦めて、主目的たる武藤さんの展示に絞り込み、日帰りで戻ってこようかとも考えた。が、用件が三つ以上溜らねば池袋へも出掛けぬ男である。酔狂な独り旅なのに単一目的で日帰りということが、果してあってもよろしいものだろうか。

 つまりは身から出た錆に過ぎない。最低三回のワクチン接種も、運転免許証も、ナニガシ登録カードも用意できぬ者なんぞは、現代にあっては平等な国民として扱う必要のない非国民なのにちがいない。
 気紛れな心のぜいたくなど、求めてはならぬ身の上となり果てていることは、知っていたはずだった。つい出来心で分不相応に夢想してしまったものの、やっぱり現実は正直でもっともだったということのようだ。