一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

樹木

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カリン、サクラ

 二週間に一度、金曜八時から、少年たちは力道山を熱烈応援した。間の週はディズニーランド・シリーズ。
 ――ディズニーランドには四つの国があります。「開拓の国」「冒険の国」「未来の国」「おとぎの国」。さぁ今日はどの国へ。
 子どもに一番人気は「おとぎの国」。ミッキーやドナルドダックやグーフィー、それにチップとディルなど、ディズニー漫画のアニメーションだ。白雪姫もあったのかもしれないが、男の子の記憶には残らない。「冒険の国」はサバンナやジャングルの動物実写や、秘境への探検。「未来の国」は天体観察や、空想科学だ。 
 人気イマイチが「開拓の国」。アメリカ史や西部開拓史にまつわる物語が主で、ディズニーとしてはこゝがもっとも日本人に普及・感化したい要だったかもしれぬが、子どもたちには縁遠かった。なかに、こんな噺があった。

 白ペンキの垣根に囲まれた小体な家にお爺さんが独りで済んでいる。家は小さくとも庭は広い。牧草地かと見紛うほどの原っぱに、樹木がたった一本。全部がお爺さんの土地だという。囲いもないから、日ごろ子どもたちは自由に出入りして、遊んでいる。むろんお爺さんも、認めてきた。

 野球が注目される時代となり、子どもたちのあいだでも流行ってきた。少年野球の監督がやってきて、お爺さんにお願いごとをする。この広い庭を球場にさせて欲しいと。
 お爺さんは首を縦にふらない。じつはたった一本の樹を、お爺さんは我が子のように可愛がってきたのだ。それに野球がどんなものかも知らない。
 「クリケットに似ています。バットでボールを遠くまで飛ばして競技するスポーツです」イギリスからの入植者らしいお爺さんに、監督は丁寧に説明する。
 「あの辺りがホームベースで、内野がその辺まで。この辺が外野ということになります」
 「ここは、外野。外野なのだね」
 「ありがとうございます。子どもたちがさぞ、大喜びすることでしょう」

 工事が始まる。ある日、人夫が樹木の始末にやって来る。
 「ちょっ、ちょっと待ってくれ。監督さん、こゝは外野だと云ったじゃないか。だのになぜ、この樹まで?」
 「えゝ、ですから外野フィールドです。こゝも競技場になります。説明至らなかった点は、申しわけありません。でも子供たちは、本当に愉しみにしているんです。どうかどうか、ご理解ください」
 お爺さんは誇り高い人だった。騙されたのか、理解不十分だった自分が悪いのか、それは問題ではない。ともかく約束したのは事実だ。
 樹は、伐り倒された。

 球場は成った。少年たちの大きな掛声や笑い声で一杯だ。バックネット裏で監督が、お爺さんに懇切丁寧に説明している。
 「彼がピッチャー。投げてくる球を、ほらこのバッターが打ちますよ。一塁へと走ります。球の転送より早ければセーフです」
 お爺さんには、まだ解せない。けれど子どもたちの顔はどれも晴ればれして愉しそうだ。親たちまでがやって来て、夢中で応援している。

 はてな、自分は好いことをしたのだろうか……? 解らない。浮かぬ顔つきだ。とにかく試合というものを、最後まで観てみようか。それにしても、あの樹は二度と帰っては来ない。
 「開拓の国」で記憶しているのは、この噺たゞ一篇である。

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 拙宅敷地の半分は、東京都から召し上げられることになっている。道路幅を倍に広げての、再開発だという。
 サクラは今年も葉を降らせ、カリンは実を落す。