一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

どこからか

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 困ったときの民間伝承か。間違った我流かもしれないけれども。

 もはやこの時期の季節感ともなりつつあるのが、忘年会のお誘い。もとより世間が広くはないので、数は知れているが、そのぶん熱心なお誘いだ。例年であればお断りできない、またお断りしたくない会ばかりである。会の発足以来、欠席した憶えのない会まである。

 今年はすべて、ご辞退している。おもな理由はふたつ。まず遠くまで出かける勇気が出ない。なにも遠方で開催されるわけではない。交通機関乗換えを含めて、せいぜい五十分以内圏内での開催ばかりだ。だが自粛以来、まだ池袋より遠くへ出たことがほとんどない。たゞ一度の例外は九月二十一日、谷中霊園の廣津和郎墓所へ参るべく、山手線で日暮里まで行ったきりだ。買物や歳暮の手配など、すべて地元か池袋かで済ませてきた。

 反対方向はとなれば、関係する雑誌の編集部への用足しに江古田へ赴いたきりだ。つまりやがて二年、江古田から池袋まで私鉄三駅の間しか、移動していないことになる。
 いけないのは、世間的仕事から足を洗った身ゆえ、それでもなんとか暮せてしまえているということだ。パスモが減らない。どうでも減らさねばならぬ理由もない。

 ご辞退するふたつめの理由は、本人はこれでも、毎日それなりに忙しがっているということだ。退職したからには、あの男さぞや退屈していやがるに違いないと、ありがたいお心遣いをくださる向きが多いのだが、どっこい当方は、よろず時間不足で、やるべきことを積み残したり、手抜きで済ませたりして、しきりと苛立ったり悔んだりしているのが実状だ。

 ではなにがそんなに忙しいのかと、改まって訊ねられると、答に窮する。ひと様にご納得いたゞけるほど巨きな事情などはなく、たゞ細ごまとした用事が山積しているのだ。
 この時期のありがたくない季節感のひとつに、喪中ハガキ落掌がある。そうだったと、すぐ思い出せる件もあるが、そうか知らなかったとの意外の感に打たれる件もある。遅ればせながら、なんらかの手当をしなければならない。
 今月末は、父の十三回忌に当る。母は一昨年済ませている。で、これが済めば一区切りと、なん年も前から思い続けてきた。べつだん法事らしい催しをするわけではないが、金剛院さまと私とのあいだだけで、相応のことはする。

 私の健康チェックも手抜きのままになっている。寒くなってくると血圧が上りだす。夏季は省略していた薬を服み始めなければならない。がん検診もサボったまゝだ。ワクチンも必要だろう。以上はホームドクター
 口中穴だらけで、歯を入れたり治療したりしなければならない。ユーチューブで自分の声を聴いてみると、瞭かに余計な息が漏れていて、発音が不鮮明だ。呂律も回っていない。以上はホームデンティスト。
 とうに通院するべきだったが、密を避けるとの思いもあったし、なぜこんなになるまで放置したかと、両先生から叱られるのも気が重くて、ずるずると一日延ばしにしてきてしまった。いよいよ待ったなしだ。

 とはいえ自己流で、健康に気遣ってはいる。毎日食材三十品目という都市伝説めいた説がかつてあったが、食事は少量ずつ多品目を徹底させている。米にはいろいろなものを混ぜる。上の写真は舞茸ごはん。
 玉子は毎日かならず一個。海藻は最低二種類。肉は少なく大豆を多く。胡麻は毎日かならず。ニンニクひとかけらと梅干半個もかならず。酢を使った料理をかならず一品。味噌は控えめ。

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 つねに具材の多い煮物は欠かさぬよう。ヒジキ野菜が切れたら、日を置かずに炊く。五日前の揚げびたしが思いのほか上出来で、目算より早く完食。気を良くして、今夜にでも第二弾。要するに、すべては食材品目数を稼ぐとの観点からだ。

 民間信仰にも似たこんな我流膳法に、果して効能あるのやらないのやら、はなはだ眉ツバではあるが、ともあれ甘党大酒飲みだったかつての人生マックス体重からは、二十七キロ落してきた。
 それでも癌細胞は、どこからかやって来る。かならずやって来る。