一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

暮れまで

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 米どころから、豊作の消息満載の贈り物が届く季節となった。独居老人が暮れ正月を籠城するための、頼もしい兵糧だ。

 なにかお返しをしたいものだが、東京の名物を思いつかない。雷おこしでもあるまい。そう嘆いたら、ある友人が、海苔だろうと教えてくれた。そうだった。東京湾産(江戸前)の浅草海苔があった。
 私も焼海苔は大好物だ。一流の品を寿司屋で味わうと、さすがに美味いものだと、心底感心する。が、自分の食卓用には、庶民的な並製品を常用している。

 はしたない習性だが、一流品と並製品の価格差ということを考える。海苔やお茶には、値段の高低差が大きい。味わい分けられる舌をもった人、視分けられる経験をもった人が、世に多いということだろう。
 私にはそれらの持合わせがない。一流品はたしかに美味い。けれど並製品も美味い。味の差には、値段の差ほどの開きがないと、思えてしまう。
 蕎麦なども、世に通ぶった人は多い。たしかに蕎麦どころと云われる地方で、打ちたての生蕎麦ですとご馳走していたゞいたときには、なるほどこれが本場の蕎麦かと、人目をはゞからずに唸った。しかしスーパーで買う並の乾麺でも、私には美味い。

 天賦の味覚の問題もあろうが、経験の問題が大きい気がする。修練の有る無し、関心の有る無しだ。さらには、こだわりどころの違いでもある。
 月餅という焼饅頭が好きなのだが、一流菓子舗や有名中華料理店の月餅と、ファミマで買える製パン会社の月餅とのあいだに、値段の差ほど味の差はないと感じる。
 ところがアップルパイだと、一流と並とにはどうしようもない差があり、値段の差は当然だと感じる。洋菓子店の看板を掲げながら、「これはパンでしょ」と云ってやりたいアップルパイに遭遇することもある。
 おそらくは商品の問題ではなく、私のこだわりどころの問題だろう。

 海苔はたしかに東京の名産品といえようが、私の感覚では、一流品が高級な顔をし過ぎている商品だ。どうも、進物としては選びにくい。
 進物には、偉そうじゃないものがよい。同じ値段なら、小さいものが好ましい。一見安っぽく見えても、じつは気づきにくいところに気を使ってある商品が好ましい。

 そんな私でも、地元産品ですとなれば尺度の外、文句のつけようがない。しかもご長男が農協(と今は称びませんか)に勤める、米どころの親戚から、米と蕎麦と餅とが、きな粉つきで贈られてきてしまえば、名産不毛の東京人としては、グゥの音も出ない。

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 たゞし、暮れ正月用食品として贈ってくださったのかもしれないが、米と餅についてはしばらく我慢するとして、蕎麦については、暮れまでもつとは思えない。