一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

それぞれの出番

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S&B食品さん、ありがとうございます!

 我が台所軍団には、常用技術部隊や身をすり減らして奉仕してくれる消耗歩兵部隊のほかに、火器砲兵部隊や電子機甲部隊も、まさかの事態に登場する特殊技能工兵部隊もある。が、忘れてならぬのは、作戦の隙間処理というか、どこにでも登場して、目立たぬ役割を確実に果して、素知らぬ顔で冷蔵格納廠へと帰ってゆく遊撃班である。
 他軍には「練り辛子」「すりおろしニンニク」などの類似班もあると聴くが、我が軍では設置していない。

 たゞ今では新中華街として有名になりつゝある池袋北口。そのあたりを抜けて、さらに北へと進んだディープ池袋に、「一番食堂」はあった。すぐ目と鼻が、行きつけのジャズバーだったこともあって、しばしばお邪魔した。つまり食堂とバーはセットで、私にとっては、なくてはならぬルートだった。
 板前さんであるマスターと、タカラヅカOGとしか見えぬ颯爽ママさんが、アジア人留学生のバイトさんを使って、繁盛していた。

 日ごろから、いかにも酒の肴という顔をした料理が出てくると、げんなりする。いわゆる「おかず」で飲みたい。どうですとばかりに、角のきっちり立ったお造りなんぞが出てくると、ハイ包丁がお上手に研げましたねと、返してやりたくなる。
 そんなのに限って、具(つま)の選択や吟味に抜かりがあったりする。客を見下していたりする。

 マグロは食い応えのあるブツに限る。端っこの三角が混じっていたり、筋を断ち切れずに繋がっていたりで好い。当方だって箸くらいは使えます。
 ロースハム厚切りのハムカツなんぞ、自己矛盾ではないか。赤肉ハムの薄切りに衣を被せて揚げるから、あの食感と味が出る。つまり概念から入って、実感や経験を見下すから、さような錯誤が起きる。
 また豪華厚切りロースハムのカツなんぞを、褒めちぎる俄か食通もいるんだ、世の中には。まったく世間は広い。

 一番食堂では、今日はカツオの良いのが入ったとママさんが云った日には、こうして食うのが一番美味いというカツオが出てきた。マスターが山菜を仕入れてきたと云ったら、フキノトウやタラノメに、セリやタケノコも加えて天ぷらに揚げてもらえば、豪華な大皿が出てきた。
 今でもときどき、一番食堂のコロッケ、食いてえなぁと、想うことがある。

 土地がら、あたりの会社員がたが気炎を吐いたり愚痴ったりしながら、お仕事終りから帰宅までのひと時を過ごしていた。不動産業や保険業、商品流通・貿易業、経営コンサルタント業などのかたがたで、ご苦労も多そうだが羽振りもよろしいようだった。
 こちらはスポーツ新聞を開いたり、点けっぱなしになっているテレビに眼をやったりしながら、独りで飲んでいるから、嫌でも社会人の怪気炎が耳に入る。たび重なるうちには、社内人事の一端や業界事情の裏話まで、うっすら想像がつくようにもなった。
 転勤の歓送迎会にも出くわすから、ハハァ今度の課長さんは、なんぞと勝手に想像したりした。

 「あの蕎麦屋へはもう行けないなぁ。薬味の小皿にニュッと練りワサビを出しやがる」
 「あゝ、あのチューブのやつだろ。あれは食えないよねぇ。ワサビといったら、基本ナマワサが常識だろうに」
 宴会や交際・接待で、さぞや高級(めかした)ものを数多く召上ってこられたのだろう。
 ですがね、アンタの奥さまは、アンタやお子たちのために、知恵を絞ってチューブワサビを、上手にお使いのはずですぜ。
 俺もあゝいう意識だったのだろうか? 早いとこ会社員から足を洗ってよかった。

 我が遊撃班のワサビチューブはほゞ毎日出動してくれている。納豆に少量混ぜるからだ。総量で小豆粒ほど。パックから小鉢に移した直後、菜箸の先端で、米粒大ほどを二か所に乗せる。ニ分するに理由はない。掻き混ぜるさいに混ざりやすい気がしているだけで、比較検証実験により突きとめたわけでなない。
 ツナ缶を開けて我流ツナマヨを作るさいにも、微量のワサビを加えている。板わさは申すまでもないが、私は辛子を使わないので、焼売なんぞもワサビ醤油で食べている。蕎麦を茹でれば、むろん登場する。ナマワサなど、もう何年も使っていない。

 生姜は常に八百屋ご提供のナマを常備している。毎日の粥にスライス一枚分を微塵にして投入。むろん椀物には必須。カボチャだろうが大根だろうが肉じゃがだろうが、あらゆる煮物にも目立たぬながら必須。中華鍋でジャッと炒める場合には、油を落着かせるためにまず生姜を投入、香りづけを兼ねる。
 したがって飽くまでもナマ先行。チューブショウガの出動回数は、この時期ワサビほど多くないが、夏季にはソーメンその他の麺類に大活躍。

 たゞしこの部隊には、重要な出番がある。揚げびたしなどの漬け汁を整える戦局だ。出汁を取るさいにナマ生姜は入れてある。が醤油を差し、酢で仕上げ、冷蔵庫で休むうちに、生姜味は完全に溶け込んでしまう。
 で、冷まし切った漬け汁に、揚げたての具材を浸す直前に、もう一度念押しのアクセントを打ちたい。柚子と云いたいところだが、我が軍の装備にない。そこで生姜の出番なのだが、冷めきった汁の中で、ナマ生姜は力を発揮しきれない。こゝはチューブショウガの出番なのである。目ざましい働きをしてくれる。

 生姜を擂りおろせば好いではないか。ごもっともなれど。大根おろしとは、わけが違う。生姜の擂りおろしは、これで案外面倒なのである。しかも出来栄えは予断を許さない。そのうえ、残りの部分は繊維で毛羽だったようになり、次の出番に気を遣わねばならない。チューブショウガとは、じつにありがたき商品なのだ。

 ひと頃、生姜をおろす専用の小さいおろし金に凝った。並のおろし金では目が粗過ぎると思ったのだ。ステンレスのもの、磁器のもの、まるでママゴト用品のような、可愛らしいおろし金が、四個も五個もある。
 今それらは、すべて予備役に組込まれ、在郷軍人会に所属している。