一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

いくらか

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 編集部への手土産。ボロは着てても心は錦。

 久しぶりの外出仕事。雑誌の新人文学賞の授賞式。その後に、受賞した若い小説書きと、最年長選考委員との対談を収録。つまり聞き手として、若者から今どきを教わる得がたい機会だ。
 選考委員と聴くと、なにやら偉そうだ。実際には、私の鼻はとうに、新しい表現を嗅ぎ分けるには鈍化している。かつてはこうまで鈍感ではなかった(気がする)。
 つまりは「近代文学」という古典芸能の一分野で、かつて精進した覚えがある「過去の人」だ。新人を選考するなどはおこがましき限り。現代また近未来文学の可能性について、古典的技芸の観点から眺めればこう見えるとの、参考意見を言上することしかできない。

 ニ十歳代の受賞者は案の定、同齢のころの私などとは似ても似つかぬ信条で、文芸創作に取組んでいた。
 まずもって分野(ジャンル)へのこだわりがない。アイデア次第。こんな場面を書いてみたい。こんな台詞を登場人物に云わせみたい。その酵母を、読者が愉しめるように膨らませるべく工夫を重ねる。酵母によって、膨らんでゆく方向が異なる。芸術小説になったり娯楽小説になったり、はたまた官能小説になったりミステリー小説になったりする。膨らんでしまった方向に合せて、表現を若干調整する。書ききってしまって娯楽にするか、暗示部分を多くして芸術的に引締めるか。
 実際に、文芸もので受賞し、官能小説でも原稿料を取れている。

 思想(じつは理屈)に忠実であるよりは、感性に忠実なのだ。
 石にかじりついてでもこの分野でと力み返った私たちの時代には、想像もできなかったしなやかさであり、融通無碍さだ。突然五十年前にタイムスリップしようものなら、彼は周囲の同志たちから、方針の定まらぬイイカゲンな奴だと、誤解されるかもしれない。

 私の知る時代も、もっと先輩がたの時代も、修業とは、只今現在を辛抱して、未来に賭けることだった。今の若者のおゝかたは、未来などを待つ気は、あまりない。現時点での最良の自分を、はた目など気にせずに押出して行こうとする。
 若者のこういう傾向を称して、刹那的だの志が低いだの、あろうことか思慮が足りぬだのと決めつける年寄りを、見かけることがある。とんだ見当外れだ。

 現在の若者たちは産れてこのかた、経済の面でも、社会のそこはかとない空気の面でも、右肩上りを体感したことがない。両親は子どもたちの前でも常に、今年は去年より悪いと云い、来年はもっと悪い見通しだという顔を、見せてきた。
 唯一、子どもの眼からもはっきり見える、電子技術と製品の発達に足並み揃えて、成長してくるほかはなかったのだ。
 両親があんなに頑張っているから、あと二年もしたら我が家にもテレビが来るかもしれないと期待した、私の時代とは正反対だ。将来の自分に投資しろなどという説教は、嘘に決ってる。辛抱する木に花が咲くなどという諺は、昔噺の中だけのキレイゴトにしか見えない。

 そんな時代を我が時代と背負った若き才能たちが、作品を工夫して、押寄せてくる。私には愉しい。私の常識が、バリバリ破られてゆくのが、面白い。心地よくすらある。

 対談企画といっても、会場が大学構内のこととて、酒も出ないし、全面禁煙だ。茶くらいは出る。手土産に茶菓子を用意して出席した。
 到来物の老舗の化粧箱に、もうひとつの老舗の細箱をはめて、内を二分割した。ひと口ミニチュア和菓子(税抜き297円)と、フルーツのど飴(税抜き127円)を詰合せた。いずれもディスカウント・スーパーに常備の、我が日常愛好品である。

 「ボロは着てても心は錦」と口上を付けて、編集部員に手渡した。えっ? という表情を一瞬見せ、すぐに笑顔がほころんだ。あゝ、いつもの冗談ですね、という顔つきだ。
 「いや本当に、こっちが(と指の爪で箱を叩いて)ボロなんだけど」と申し添えたが、もう聴く耳は持ってもらえなかった。傍で観ていた対談相手の受賞者はにんまりした。いくらか意味が通じたようだった。