一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

花々

f:id:westgoing:20220312041119j:plain


 よろづ不徳のいたすところ、つまりは自業自得ということか。

 ご近所を散歩すれば、見紛うこともなく、春である。
 庭師さんのお手が入ったというほど、とくべつお庭手入れにご熱心とはお見受けできないけれども、たゞまじめに素人手入れをなさっている感じがありありと伝わるお宅で、垣根の花を眼にしたりすると、なんだか嬉しい。
 植物だって、寸分の弛みもなく格に入って澄ましかえるよりは、少々行儀悪く咲いてもみたいと感じているのではないかと、想ってしまう。

 不定期ながらほゞ毎月刊行されて、すでに二百八十号近くにもなる、フリーペイパー形式の、きわめて硬派の評論誌がある。名を明かせば知る人ぞ知る、うるさがたの論客数名が常時執筆している。大手メディアではこゝまで書けまいと思われる、舌鋒鋭い本音評論が並ぶ。それどころか、既存メディアの堕落や弛みや俗化を批判・告発する内容が豊富だ。
 世間からすっかり置いてけぼり状態の私にとっては、毎号蒙を啓かれるばかりだった。なんの共感もお示しできぬまゝ、お邪魔にならぬ程度にうっすらとお付合いして、今日に至っている。

 執筆陣のお一人が、以前からとくにご縁深きかたなのだが、その彼からふいにハガキを頂戴した。お前、書く気はないかとの、ありがたいお誘いである。
 中心執筆陣のお一人だった、私ごときからは仰ぎ視るほどの大先輩にあたる論客が、さすがにご高齢で、勇退されたという。
 また最近号誌面でのご報告記事によれば、主題はおのおの自由とはいうものゝ、最低限の思想信条の一致は揺るがせにできず、協議のうえ双方合意で袂を分った執筆者も出たようだ。つまり世代交代と顔ぶれ補充を兼ねての、執筆者探しということのようだ。

 ありがたくまた光栄至極のご指名だし、ふたつ返事というわけにもゆくまいから、近ぢかお話合いをさせていたゞくことにはなろうが、おそらくお仲間に入れていたゞくことにはなるまい。
 今の私は、アナーキズムからもマルキシズムからも、それどころかあらゆる社会思想から遠い。テレビは観ないし、新聞・週刊誌もなるべく視ないようにしている。私ごとき半端年寄りがなにか申せば、間違いを口にする公算が高い。
 あるべき社会、日本の将来、いずれも有識のかたにお任せする。ときおり拙宅に顔を出す野良猫が、どうやら子を産んだらしいなどということが、今の私のせいぜいの縄張り圏内だ。

 ミ〇もク〇もあえて一緒であることが望ましいといった、当日記の考えかたが、もっとも自分に正直である。
 齢相応に円熟なさったかたがたに較べれば、私はずいぶん頑固で偏屈な老人だと自覚している。しかし今も志を貫いて硬派の論陣を張っておられる先輩や旧知の友と比較すると、私はなんと小さく、かつ軟弱であることか。

f:id:westgoing:20220312055247j:plain

 FaceBook.とTwitter.に登録したのは、二〇一一年三月十一日の夕刻だった。当時はまだ観ていたテレビを点けっぱなしにして、パソコンを開き、台所の割れ物を始末しながら、あちらを眺めこちらを眺めしていたのだが、当座の情報があまりに乏しいのに業を煮やして、登録したのだった。
 今想えば、よく自力で登録できたものだ。つっかえつっかえしながら、自分なりに必死で登録したものだろう。

 三月十日といえば東京大空襲の日であり、十一日といえば大震災の日だ。それはそうに違いない。が、大震災の惨状の映像に息を呑みながら、母にも父にもこんな光景を見せないで好かったなどとも思った。母はその四年前に、父は一年半前に歿していた。
 母の誕生日、ほんのいっときの現世へやって来た日(今はもう帰ったわけだが)は三月十日だ。むろん大震災の日を、忘れることはない。けれど同時に、母誕生日の翌日、とも思う。公と私、事の大小という点からは、不謹慎きわまるし、非国民的でもあろうとは思うが。

f:id:westgoing:20220312063210j:plain

 ご近所の花々は咲き始めている。が、わが家の桜は、まだである。
 やはり、人さまのお役に立つような正論を吐くことを旨とする類の原稿は、ご辞退するしかあるまい。