開創五百年記念品として、金剛院さまより額物を拝領した。風祭竜二画伯による切絵版画。
さっそく仏壇脇に飾らせていたゞくが、こういう作品は永く残る。むろん私が現世を了えても、次なる持主の手へと、受け渡されてゆく。
ほんのいっとき、わが手もとにご逗留中の品物である。
風祭画伯は、神社仏閣を中心として、景勝の地や、「ふる里」を主題とする民話的かつ牧歌的世界を、切絵に表現してこられた。たしか私より四つ五つご年長でいらっしゃるはずである。
技法は、こゝまで写すものかと感嘆のほかない細密な下絵を取り、下絵の下に墨紙を敷いて、小刀で切り込んでゆく。一ミリのニ分線と三分線とを区別して切り込むがごとき、丹念きわまる驚嘆の技である。
切り挙げた墨紙の下へ、色染めした紙を敷いてゆくのだが、この染め色の数がまた、遠近の空気感や陽光との関係で生じるかすかな陰影のちがいまで表現すべく、何百色とも数えきれぬとうかゞった。
さて今回の『金剛院全景図』だが、境内の遠近を上下に変換して、遠くも近くもが親しく観渡せる構図となっている。屏風絵にも絵巻にも、庶民的な大津絵にさえ表れる、いわば大和絵伝統の構図概念によっている。
これにより、山門入ってほどなく左手の大師銅像とも、一番奥(画左上隅)の赤い頭巾をかぶった六地蔵とも、ひとしく対面できる。
視点は、駅東端と山手通り陸橋との中間あたりの上空に設定されているが、リアリズムだとそこからは横顔を眺めることになってしまう、仏さまがたも石碑や石板も、すべてこちら正面を向いていらっしゃるのが可愛らしい。これも伝統的な考えかたのひとつで、かくあるべきものだ。
加えて、上空の雲を表現しながら、境内の空気感・霞感をも暗示する横棒状の帯は、わがレンズにては再現できぬが金色に輝き、なにやら霊的なおごぞかさをかもし出している。
四季をとおして花のたえぬ境内ではあるが、多くの檀徒がとくに愉しみにしている大師堂前の牡丹も、本画は観逃していない。(画天地中央やゝ左寄り)
私一個としては、山門外の、お不動さまの社のそのまた門外に立つ、江戸時代には道標だったお地蔵さままでが(画左下隅)描かれてあるのが嬉しい。わが気に入りなのである。
私ごとき平の檀徒などめったに入れていたゞく機会はないが、客殿の中庭にあたる石庭(画ほゞ右上隅)が描かれてあるのも微笑ましい。
ところでこの画には、宗教画として大切な問題が描かれてある。山門の内と外、ばちあたりではあるが画を上下に分けてみると一目瞭然となる。
本殿がふたつ描かれている。むろんひとつは(上図)中央上部に。もうひとつは(下図)山門から覗ける敷石道の突当りに小さく。その敷石道とは、(上図)の左右中央を上から下へと心棒のように貫く白っぽい道である。
つまり(下図)は遠近法によって、(上図)は無遠近法によって、描かれてある。それらが一枚の画となっているのである。
山門の外は遠近法が支配する娑婆である。だが山門を一歩入れば、そこには遠近法などない。画の左上隅、赤頭巾の六地蔵前をさらに行けば、一帯は墓地である。
「爺ちゃん婆ちゃん、孫たちみーんな出て行きましたよ。あの悪ガキが青年商工会だってさ。あの泣き虫娘が父母会の役員だって。柴犬のボンとは、逢えましたか? 今でもサイダーをクシャミしながら悦んだりしてますかしらん?」
時の遠近とも場所の遠近とも、いっさい無縁の世界だ。
「あなた、今でも喉が渇きますの? ごめんね、だって先生から止められてたんだもの。許してちょうだいね。はい、お水たくさんどうぞ」
「親父、お袋ォ、俺もそろそろだけどさァ、今行ったら、親爺と同じ年だぜェ。俺のこと解るかなァ」
どれもこれもこの彼岸に、墓同士がご近所だったり背中合せだったりするかたがたから、じかにうかゞった噺だ。