一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

寝そびれ散歩

 この齢になってもまだ、アヤメ、ハナショウブカキツバタ、つまりアイリス系の花形の観分けができない。困ったものだ。

 また寝そびれちまった。深夜に一度眠気が差したのだったが、ちょうど昔の映画を観ていたから、最後まで観てから寝ようと思い、そこがユーチューブの便利さで、いったん動画停止して珈琲を飲んだ。小腹が空いたというやつで、餡まんを一個ふかして食べた。映画は上機嫌で観了えたものの、眠気はどこぞへ消し飛んでしまった。
 あの小説のあの場面はどうなっていたんだっけかと、先日ふと気になった作品があっった。藤枝静男『或る年の冬 或る年の夏』である。どうせなら冒頭からと、つい読み始めてしまったら、思いのほか時間が経って、もう陽が高くなってしまっていた。午前中の、しかも燦々たる陽光を身に浴びた最後は、さていつのことだったろうか。
 午前の時間を使える日は貴重だ。いっそこのまま行動開始して、その代り夕方早く就寝して、二日分爆睡しようと決断して、外出した。

 まずは嵩張らぬ買物。ダイソーで単四乾電池と木製スプーン。体重計の電池が切れた。二十年近く働いてくれた砂糖壺用の匙が一昨日折れた。ところがダイソーには木製のほかに竹製もあって、より湿気にも乾燥にも勁そうなので、今回は竹製とした。
 セブンイレブンで煙草。通い慣れたファミマが閉店したので、取引開始だ。まだ入店四回目で、自動決済機の手順をようやく覚えたばかりだ。ポピュラーでない煙草を喫んでいるが、幸い同じ銘柄が完備されてある。

 金剛院さまへ墓詣りに伺おうか。母命日はとある月の六日、父命日はとある月の二十六日で、拙宅の月詣りは六の日が主だ。とはいえ厳密に考えてもいないので、一日遅れなんぞへっちゃらである。
 それにつけて心配ごとがひとつ。先日来、駅前の花長さんのヨシズ囲いが立てられたまま休業がちだった。大将もオカミサンも私より遥かにご高齢なこととて、なにかご健康にお障りでもあったかと、しきりに気が揉めた。今日も閉っているかもしれない。
 他店では、墓前用の花束はどれほどの花で、いかほどの相場かを視てみようと、道筋途中にあるビッグエーとサミットストアと北村生花店を廻った。予想どおり、廉価という点ではビッグエー、サミット、北村さんの順序で、花種の盛合せという点では、逆の順序だった。サミットの花束を一対買った。
 ところがである。駅前まで出てみると、今日に限って花長さんは店を開けておられた。ひと安堵するやら、なぁんだ途中で買わなきゃよかったといささか拍子抜けするやらで、どっちつかずの気分がした。
 他店の花を手にしてお見舞いも変なので、ご機嫌伺いはこの次にして、気づかれぬよう速足で素通りさせていただいた。

 金剛院さま境内では、当然ながらアジサイの花盛り。タイサンボクはすでに無残な落花狼藉もあり、これから開花するつぼみもある。そしてアイリスも開花している。花形は大好きだというのに、観分けかたが呑込めていない。情なきことこの上もない。
 つねの順路でつねの参詣。よくあることだが、初めて山門をくぐったとおぼしき観光参詣のご婦人連れが、境内の石像・石板・石碑類を眺め歩いておられる。本堂はもとより大師堂でもミニ四国巡り銅像前でも、光明真言を唱えて廻る老人は、奇妙なものと観られてしまっただろうか。


 ロッテリアで一服、アイス珈琲。藤枝静男の続き。小一時間で切上げ、買足し用件で商店街方向へ。
 途中わが町においては老舗の質屋さんの前を通る。七の日が休業日で、シャッターが降りているが、店前のよく手入れされた植込みは満開だ。ある時代まではたいていの日本人がご存じだった、帝銀事件の現場となったかつての銀行跡地の、ちょうど真向いである。当時の報道写真やニュース映像などには、白地に墨痕鮮やかなこの質屋さんの木製看板がかならず見える。むろん今は電飾看板だ。

 かつてわが町にもなん軒かあった古書店のうち、一軒だけ今もお元気に繁盛しておいでの春近書店さんの前を通る。往来に向けて晒しの百円均一棚を眺めていたら、モーパッサン女の一生』の角川文庫版(広津和郎訳)があった。昭和二十八年初版の昭和三十九年第三十版である。三冊選べば二百円とあったが、相棒も見つからないので一冊百円にて買った。
 昭和の初めに、いわゆる円本ブームがあった。さまざまな全集が全巻予約セット販売され、大流行した。奥付にも箱にも定価は印刷されてない。各巻定価一円と決っていたからである。その時代の世界文学全集に、この広津訳も収録されていた。たしかフローベールボヴァリー夫人』と抱合せで一巻だった。ボヴァリーがどなた訳だったかは記憶にない。
 せっかくの機会だからと、春近さんの店内を久しぶりにゆっくり眺めて廻った。大島一彦先生『ジエイムズ・ジヨイスとD・H・ロレンス』、井内雄四郎先生『比較の視野――漱石・オースティン・マードック』、生駒幸運先生『エマスンの思想研究』、かつて私が編集者として手掛けた本が三冊も眼についた。とはいえ手に取ってみることはしない。江戸時代の庶民風俗を記録紹介した画入事典のごとき歴史書を一冊買った。

 さて、あとはもう一度ビッグエーに戻って、牛乳一リットルパックと六ピーチーズと、イワシ缶とワサビ漬けとを補充すれば、今日の散歩は仕舞だ。