一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

にわか報告


 お大師堂前には、大きな藁囲い。

 先を争っての初詣には興味がない。「怠け者の節句働き」という例えもあるが、ふだん寄りつきもしない癖にこんな時ばかり熱心な振りをしてみたところで、どうなるものでもあるまい。弘法さまにも仏たちにも、事態は丸見えにちがいない。ご利益なんぞたかが知れたもんだろう。
 かといって、暮れにご挨拶を兼ねて墓詣りにに伺ったから新年はよかろうというのも、いかにも手抜きと思える。「一夜明ければ別の年」と「新年なんぞと云ったところで、しょせん大晦日の明日」とは、ともに反面づつの真理だ。となれば、無理なきよう目立たぬように、控えめな初詣りを済ませるのが無難というものだ。幸い好天に恵まれたので、金剛院さまの山門をくぐる。

 昨年の初詣りには重要な用件があって、疎かにできなかった。明けて二月六日が母の十七回忌に当っていたから、供養の下相談や塔婆のお願いを申しあげねばならなかった。今年は忌年ではない。父の十七回忌は一年跨いだ来年の、しかも十一月だ。つまり私にとって今年は、やや気軽な初詣りである。
 思い立って逆順路を採った。札所巡りの本場四国にも、逆遍路があるではないか。まず大師さま立像に一礼してからミニ四国を一周。次いで御府内七十六番札所である大師堂にて、光明真言を三度唱えて弘法さんに挨拶。脇には檀家衆にわりと人気がある百日紅が裸形剥き出しに立っていて、その前にさてなんの幼木だったか、人の背丈より高い藁囲いが二体立つ。
 で、ようやくご本堂前へ。まずお名を唱えて弘法さんを呼出してから、ここでも光明真言を三度。


 庫裏のお玄関脇、白亜塀の前には境内最小とおぼしき藁囲いが三体。なんとも可愛らしい、

 江戸時代の近隣野仏を寄せた集合塚に敬礼してから、やがて私自身もお世話になる無縁仏合祀塚の観音立像には、ねんごろに予約申込みする。
 開山始祖からご先代まで歴代ご住職の石柱が順序正しく林立する奥の院に詣でてから、生前を存じあげるかたがたのご墓所を一巡。最後に拙宅墓所へと辿り着いた。年末詣りに供えた花が、半枯れながらまだ色を保っていた。迎春の縁起ものとて、左大臣右大臣双方の花立てに、花のほかに松の枝と南天の枝とが一本づつ混ぜてあったのも効果的だった。
 元日早々能登の海を震源地とする大地震があり、柏崎も揺れに揺れたもようだが、幸いに親戚どちらからも、今のところ実害の報告は届いてないし、原発関連の不穏な噂も耳に届いてないと、まずは報告。あるいはごった返していて電話すらご迷惑なお宅があってもいけないから、とり急ぎ各お宅へいっせいに、葉書にて見舞いと励ましの口上をしたためておいたと報告した。間の悪いことに、点検やら復旧やらに忙しいはずの今日があいにくの雨、明日がさらにあいにくで雪の予報だとも報告した。
 次に長年働いてくれたラッキョウ用の小鉢が、私の粗相で割れたと、これは母だけに報告。かような話題が理解できる父ではない。小泉八雲みたいに横を向いててもらう。

 かくして一昨日の神社と今朝の金剛院さまとをもって、わが初詣は終了。定常コースであるロッテリアへと引揚げた。