一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ゴールポスト芸術論(小説の起源⑤)完

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 今宵も、老いの繰りごと。昆林斎胡内にございます。

 浪漫主義、ロマンチックって、どういうこと? 正面切って訊ねられますと、答に窮します。ロマンっていうから、恋愛的なことかしらん?
 専門的にご研究の先生がたは、どうおっしゃるか存じませんが、まぁあたくしごとき低レベルで申しますれば、美・正義・善意ほか、あらゆる価値の前提となるのは、それを尊いと感じる人間性あってのこと、といった考えかたかと。人間の内面という眼には見えざるものがあって、その人間内面の成長・達成・実現がなにより大切。それには人間内面の正直な欲求を飽くまでも肯定し、どこまでも追求してゆくべきだ、といった考えかたかと存じます。この浪漫主義思想なしには、文学の、なかんずく小説の発展もございませんでした。

 しかしまあ、理屈っぽく申しましても、ナンジャモンジャ。昨夜は胡内得意の乱暴換言術。島崎藤村『春』末尾の、主人公青年の独りごとを拝借いたしました。
 浪漫主義とは、「あゝ、自分のようなものでも、どうかして生きたい」主義。

 芸術理論におきましても人生観におきましても、それと対照される、または対立する考え方は、もちろんございます。古典主義と称ばれております。さぁまたこれがナンジャモンジャ。古典っていうから、古臭いことかしらん?
 えぇいっ、これも胡内流乱暴っ。今回は北島三郎さんからいたゞいてまいりました。
 古典主義とは、「天にひとつの陽があるように、この世に道理がなくてはならぬ」主義でございます。これも多くの局面で人間を支えてきてくれた考えかたでございます。

 浪漫主義と古典主義は、もとは別個に立てられた芸術理念でございまして、はじめから対立概念として用いられた言葉ではございません。が、考えの出発地点と申しますか、根本方針がいかにも両極端で、双方対照しつゝあれこれの分野を眺めますと、多くの問題が解りやすくなります。
 たとえば日本にも影響大きかった西洋近代絵画。動きと存在感を強調して生命エネルギーを追求いたしました浪漫主義のドラクロワ。完璧な線と揺ぎない調和を追求いたしました古典主義のアングル。
 たとえば音楽の向うには魂や情熱が存在しているとした、ベートーヴェンブラームス。音楽の向うになんてなにもないか、あるとすれば神だけだ、音楽とは人間臭などに関わらぬ完璧な音の配合と連なりだとしたモーツァルトやバッハ。
 たとえば文学とは人間生命の全面表現だと考えたD・H・ロレンス。詩は人間の情感などとは無縁の、言葉による客観的構築物とするT・S・エリオット

 いゝえ、芸術のみには留まりません。浪漫主義的精神と古典主義的精神とは、サッカーの左右ゴールポストにも似て、ゴールキーパーたるあたくしども人間の両側に立っておりました。
 左に人間研究を柱に立てましたギリシア地中海哲学があれば、右には創造主による秩序を重要視いたしましたキリスト教神学がございました。左に人間にとっての実用たる経世済民を考えました古義儒学があれば、右には世を統べる統一原理を索めた朱子学がございました。おそらくは仏教における大乗・小乗という考えかたも、これと通底いたしましょう。
 あたくしどもはゴールキーパーよろしく、ときに左へ寄ったりまた右へ寄ったり、まん中に立ってみたり七三に片寄って構えたりしながら、生きてまいったのではございませんでしょうか。

 あらゆる浪漫主義的精神の根柢には、オギャアと生れた瞬間から、人間各人には他のだれとも同じでないかけがえのない価値が備わっている、との人間観が横たわっております。その価値、個性と称ぶも尊厳と称ぶもご自由でございますが、それを存分に花開かせることが人生の目標である、との人生観が生れます。
 他方あらゆる古典主義的精神の根柢には、人間だれしも白紙の状態で産れてくる、との人間観が横たわっております。佳い染料と出逢えば美しく染まり、泥水に浸されゝば二度と純白には戻れない。だからシツケや精進が大切、との人生観が生れます。

 よく例に引かれますのは教育方法。昔は旧家の男の子が何歳かになりますと、お爺ちゃんの前にチョコナンと正座させられまして、書見台を中に「巧言令色すくなし仁」などと大声で反復させられ、暗唱させられたそうでございます。
 巧言がなんだか、令色がなんだか、その齢で解るはずもございません。いゝんです、今は解らずとも、やがて思い当る日もやって来る。それより今は、泥水に染まらぬよう、まず染料に浸しておこうというわけでございますね。古典主義的教育方針です。
 ですが、お爺ちゃんの巧言令色でしたら、それでもよろしいでしょうが、さような教育方法が悪用されて、いざというときには家族も職も捨てて、ナニガシのために死ぬのだゾなどと刷り込まれたら、どうなるのでございましょうか。

 じっさいに日本はかつてこの問題で間違え、良からぬ時代を過しました。で、痛烈な反省の上に立って、一様に抑えつけるように教え込むのではなく、各人の個性を視きわめ伸ばすように教えるのだという、浪漫主義的教育方針が主流となりました。
 いちおうは進歩でございましょうが、五十年も八十年も続けておりますうちに、副作用も生じ、制度疲労もあって、権利主張とわがまま勝手の混同といった弊害が取沙汰される場面が増えました。そんな世相を憂いて、またぞろ道徳・修身教育を復活せよですとか、国家観を厳密にせよですとか、舌足らずの短絡ご意見もちょくちょくお見かけするようになってまいりましたのが、ただ今現在の局面・段階ございましょうか。

 かく申したからとて、古典主義的教育方針が間違っているとか、古いとか反動的だとか封建的だとか申すわけではございません。現に歌舞音曲ほか伝統芸能の伝承芸ですとか、囲碁将棋など棋士の世界ですとか、ある種の職人さんがたの腕前ですとか、暢気に(失礼!)大学など出ていては間に合わない分野も、世にまだまだございます。
 要は途により職により分野により、修業方法は一様ではないということでございましょう。

 さてようやく噺は戻りまして、わが国の小説は、「あゝ、自分のようなものでも、どうかして生きたい」主義精神を受容し、自分流に咀嚼・消化して身につけ、実現してゆく過程として、推移発達してまいりました。
 日本近代文学史は、浪漫主義の理想・情熱・野心で胸を一杯に膨らませました青年たちが、「天にひとつの陽があるように、この世に道理がなくてはならぬ」主義の厚く高い壁に、当っては砕け、当っては砕けしていった歴史である、などと申しあげましたら皆さま、この胡内を闇討ちになさいましょうか。
 むろんいくつもの例外はございますし、まったく異なる流れに身を置く優れた芸術家もおいでです。が、おゝむねの小説家たちは、この流れに沿って自分はどこまで行けるかと、野心を抱き、刃物を研いで、今日にまでいたったのでございます。

 では、ゴールポストの片方「自分のようなものでも」だけが、なぜに小説の始まりに関係いたしたのでございましょうか。
 それを考えますには、ちょいと外国の事情なんぞも考えに入れたほうがよろしうございまして、噺は大きくはみ出してしまいます。今宵のところは、あい済みませんがお預かりさせていたゞきまして、いやはやどこまで信用できますものやら、わが国に小説なる怪しげなもの始まりましたるいきさつのお噂、ひとまず語りおさめといたします。

 どうぞお忘れ物なされず、お履物のお間違えもなきよう、皆さまご機嫌よろしうお戻りくださいますように。ありがとうございました。
【小説の起源⑤完】