一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ふり掛ける


 今日は大事な仕事で出掛ける。重要な用件で人と会う。そういう日には「カツ」と付く食べものを摂る。もっともありふれた、庶民的なゲン担ぎだ。

 お若いかたからは嗤われてしまうことだろうが、子ども時分から三十歳ころまで、一番好きな食い物はトンカツだった。
 幼少期には、とうてい口にできる家計境遇になく、育ち盛りにいたって初めて口にし、たいそう美味かったからだろう。戦後復興と歩調を合せて食材とも料理とも出逢い、高度経済成長とともに嗜好が固まっていったという、これも世代経験のひとつだろうか。

 社会人となって、めったに休肝日のない暮しを続けるなかで、食生活の乱脈化も手伝ってか、かつてトンカツが大好物だったことすら、いつしか忘れていった。
 が、還暦を過ぎて、思い出した。それどころか、ゲン担ぎまでするようになった。これにはわけがある。
 五十歳代は丸ごと、看病と介護の十年間だった。週二日、ヘルパーさんとデイサービス施設に助けてもらって仕事に出掛けたが、それ以外の時間は、自分に行動選択の自由がほとんどなかった。

 二年半ほどの前後があったが、両親ともが他界して、私は還暦に達した。それまで行動はおろか食事献立まで、病人中心に考えざるをえなかったのが、急になにを調理してなにを食ってもかまわぬ身の上となった。目安をつけにくくなった。茫然たる自由というやつである。
 トンカツを思い出した。が、子ども時分ほどには、大好きな食い物ではなくなっていた。いつの間にか、揚げ物・油物は敬遠したい躰になっていたし、だいいち洗いものが面倒だ。一人食卓に余計な手間は禁物だ。

 とはいえ大好きではなくなったからといって、嫌いになったわけでもない。たまには食いたい。その「たまには」とはどんな時のことだろうか。などと思い想いするうちに、ゲン担ぎにいたったのだった。
 手間を惜しむ観点から、自分では揚げずに、買い食いも好しとした。また温野菜中心の食生活にトンカツ一人前は持て余す場合もあって、類似品も好しとした。
 で、重要外出の日には、ハムカツサンドイッチやメンチカツパンを食うようになった。友人の命日など、独りでもの想いつゝ過す夜には、スーパーからトンカツ弁当を買ってきて、缶ビールを飲みながら、食った。

出来立ての、いつもどおりの。

 わが常用食である、カボチャ炊きとヒジキ大豆煮は、出汁が同じ濃さで済むので、一夜にふた鍋仕立ててしまうのが便宜だ。いずれかを消費し尽して、もう一方が残り少なの場合には、数日待って同時仕立てとすることがある。
 日記に当ったところ、前回カボチャとヒジキを同時に作ったのは、五月五日だったようだ。ほゞ二週間か……。その間にカボチャ単品仕立てが一度。栄養素のバランスについては、かなり厳密に考えているほうだとは思うけれども、それにしたって、じつになんとも年がら年中、同じものばかり食っている男である。


 完全定年以降、重要案件での外出など、めったにあるものではない。
 たゞ十日ほど前に学友の通夜に参列した。焼香後には、久びさに顔を合せた連中と痛飲したために、それですっかり済んだ気分になっていたのだった。
 ふいに思いたって、何年ぶりか、うっかりすると十年ぶりくらいか、カツ丼を作ってみた。
 耄碌は隠せぬ。きざみ海苔をふり掛けてしまってから、アレッ、海苔をふり掛けるのは親子丼だったかな、などと考え込んだ。