盛り場といえば、新宿・池袋で生きてきた。その周辺、巣鴨・高田馬場、大久保・中野も、少しは知っている。社会人として動きがもっとも活発だった年ごろでさえ、馴染んだのは六本木・渋谷まで。
盛り場としての銀座は知らない。鳩居堂と伊東屋だけが、銀座で馴染の店である。浅草となると、もっと知らない。オノボリサンさながらに、へぇこれが仲見世かぁ、のレベルだ。
通学した中学・高校が、下町と山手の境目といえる日暮里にあったため、学友には上野・浅草から下町一帯へかけて滅法詳しい、というかそのあたりを縄張りとする男も少なくない。たまさかそっち方面での買物が必要になったりしたさいには、遠慮なく教えを乞い、場合によっては案内してもらったりもする。
で、以下は空想譚だが――
「酒が好い、いや違う。この焼鳥が酒に合うんだな。佳い店に連れてきてもらった。締めの五目釜めしが最高だった。ときにさっきから、どうも妙な気分がしているんだが……」我慢しきれず、口に出す。
「女将さん、私は浅草にまったく無知な人間なんですが、女将さんには、どこかでお逢いした気がしてなりません。失礼ですが、新宿か六本木で、昔出ていらっしゃったことは? ない、さようですかぁ。じゃあ、どこだったんだろうかなぁ。きっとお逢いしてるんだがなぁ」
女将さんも、こゝへ案内してくれた友人も、噴きだしたいのを我慢するようにニヤニヤしている。もうこゝらで許してあげましょうかというように、女将さんが云う。
「あたし、マキ上田です」
「えェ~ッ、あの、あの、あのビューティーペアの?」
♬ 踏まれても (ジャッキーッ)
汚れても(マッキーッ)
野に咲く白い 花が~ 好きっ(「かけめぐる青春」作詞:石原信一)
日本にもとうとう、こういう女子プロレスラーが出てきたか。マキ上田とジャッキー佐藤は、さような存在だった。
それまでの女子プロレスは、上背も体重も圧倒的な外国人レスラーから、これでもかとばかりにいたぶられながら、耐えに耐えてしのぎ、我慢に我慢のあげくに、一瞬の隙を衝いて伝家の宝刀炸裂。逆転勝ちをおさめる。それがお約束定番だった。国内のヒール(悪役)レスラーもその定番を維持すべく、上背はどうしようもないからせめて体重だけでもと、躰を巨きくするのが当りまえだった。
そこへ長身で運動能力にも長けた、つまり大型ヒールと体力でも互角に闘いつつ、技を決めるという、ニュータイプのスターレスラーが、二人も出現したのだった。
試合前にリングで唄う彼女らに、少女ファンたちからいっせいに紙テープが投じられ、リングは七色の紙屑箱のようになった。
ショートヘアでボーイッシュなジャッキー佐藤が、少女ファンの一推し。男性ファンは、ロングヘアで女性らしい風貌のマキ上田推しだったろう。
素顔は逆で、マキ上田はサッパリ、アッサリした気性。ジャッキー佐藤のほうが恋する乙女だったとは、二人の現役引退後に明かになったことだ。
引退後しばらく経ったころ、マキ上田は郷里の鳥取へ帰って、スナックを経営していると耳にした。きっと繁盛していることだろうと想像した。ゲーム大会を催して、一等になると、マキママと「かけめぐる青春」をデュエットできるなんてのは好いなあと、勝手に想像して、ニンマリしたものだった。
そのマキ上田が、浅草で料理屋の女将さんになっておられたとは……。
たかがエンタメ興行の一分野と思われる向きもあろうが、時代を写す鏡として、今日から振返ってみても、思い当ることや考え込まされることの多い分野だ。
「女将さん、失礼しました。お逢いしたことはございませんでした。私が一方的に存じあげていたのです。どうも、どこかでお見かけしたかただなぁと」
こゝからは、ご本人に面と向っては申しあげぬこと。当時私は、ベビーフェイス(主役)にはあまり心惹かれていなかった。ヒールの生きかた・やり口のなかに、別の女らしさが見出せるのが面白くて、注意を払っていた。
「正直に申しますと女将さん、ブル中野さんでしたら、即座に思い出せましたんですが……」